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誕生

 赤ちゃんが生まれた。3008グラムの女の子である。
 予定日を9日過ぎて、毎日歩くことに意味があるのかわからなくなってきた、と娘は言い出すし、周囲も、このままおなかがしぼんでいくということはないだろうけど…、とため息をつくような状態になっていた。
 それで検診の際に医師から、そろそろ入院しますか、と言われてその日に入院し、子宮の口が少しずつ開くようにバルーンを入れることになったのだった。するとその夜に陣痛が始まったのだった。
 娘の夫は翌日の仕事を休んで朝から付き添い、彼のお母さんも昼前には病院に駆けつけてくれた。正午に子宮口が3センチ開いたという連絡をもらったので私はもう少し待ち、6センチになった午後3時頃に病院へ向かった。
 陣痛室はその名前の通り、妊婦が陣痛に耐えるための部屋である。痛みに顔をゆがめて呻き声を発している娘の姿を見るのはつらかったがどうすることもできない。大きな病院でスタッフの数が多く、頻繁に覗きにきてくれるけれど彼女らもその痛みをとるための処置はしない。女達は皆この痛みを自力で乗り越えなければならないのである。
 
 私は「産みの苦しみ」なんて言葉を簡単に使うものではないな、と実感しながら、カーテンを隔てた場所でもう一人のお母さんと一緒に座って待っていた。
 痛がる声は次第に大きくなり悲鳴のようになっている。根気強く付き添う婿が偉かった。
 10センチ開いたところで、
「では分娩台のほうへ」
と言われて、隣の分娩室に移動した。
 この段階では胎児はまだ上のほうにいたようだった。
 次に陣痛の波がきたら思い切りいきむように言われていた。私も、ああ、そういえばそうだったな、と自分のときのことを思い出した。
 中学高校と吹奏楽部でトランペットとサックスをやっていた娘は腹式呼吸に慣れていて、いきみ方のイメージトレーニングだけはできていたらしく、一度目で赤ん坊はぐぐぐっと下がった。
「すごい! すごい! 上手!」
というスタッフの人達の声が聞こえた。
二度目で頭が出て歓声が起こった。
「次で出すぅ」
と娘が言って、本当に三回目で赤ん坊はこの世界に出てきた。
 普通は二時間ほどかかるところが20分ほどで終わり、後から思えば安産だった。
 
 カーテン越しに初めての泣き声が聞こえたとき、
「あっ、泣いた」
と私は思わず言った。
 その瞬間におばあちゃんになった二人は泣きながら手を取り合ったのだった。

 ずっと違う世界にいた赤ん坊は、新しい世界にきて不安にとまどっているようである。
姿を見ると、こんな子がおなかの中に入っていたんだなぁ、と思う。
 私は一週間病院へ通い、退院に付き添い、その後は家でひたすら母子の世話をしている。おむつが無くなれば買いに行き、半袖の服がいるといえば用意し、沐浴の準備、哺乳瓶の煮沸、ベビー専用洗剤での洗濯等に追われている。栄養のあるご飯を作り、家じゅうを清潔にしていたい。来客も多くなるが、時間の許す限り赤ん坊を抱っこしたい。
 
 まだ落ち着いて考えられないけれど、人生ゲームの駒がひとつ先に進んだのは確かなのだろう。
 

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コメント 1

gg3

"マゴハ ハヨキテ ハヨカエレ" ......になるらしい! 今のうちに 思い切り 独り占め、若い おばあちゃんへ。
by gg3 (2017-05-28 07:53) 

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