ギックリ腰
10連休の初日にギックリ腰になってしまった。
それで身体が調子よく動いた日々を恋しく思いながら、じーっと動かずに連休を過ごした。動きたくても痛くて動けないのだった。
それで身体が調子よく動いた日々を恋しく思いながら、じーっと動かずに連休を過ごした。動きたくても痛くて動けないのだった。
思えば4月の私は快調で、思いついたらなんでもすぐに実行できる状態だった。
連休が始まる前に東京に行く予定があったし、10連休明けの大変さを見越してかなり根を詰めて仕事をしていた。
急な転勤が決まった娘家族が引っ越し前後に我が家に滞在することになり、それに合わせて夫も単身赴任先から戻っていたので、私の家事の量はいつもの倍ほどになっていた。仕事の帰りに買い物をして、家に着いて玄関で靴を脱ぐと、その足で台所に立つ毎日だった。
東京では3日間連続でトールペイントの講習を受けることになっていた。年に数回参加している。その受講は数ヶ月前に予約したものだった。ほぼ一人暮らし状態のときには楽しみにしていた予定だったが、急に家族が勢揃いすることになり、一家の主婦としては後ろ髪を引かれる思いで自宅を後にしたのだった。
いつも午前のレッスンに間に合うよう、朝5時半に家を出る。準備も含めてまだ暗いうちに起床しなければならず、生活のリズムは完全に変わってしまうし、緊張感もあった。
今ふり返ると無理をしていたと思う。自分のキャパを超えていたのだろう。
連休が始まる前に東京に行く予定があったし、10連休明けの大変さを見越してかなり根を詰めて仕事をしていた。
急な転勤が決まった娘家族が引っ越し前後に我が家に滞在することになり、それに合わせて夫も単身赴任先から戻っていたので、私の家事の量はいつもの倍ほどになっていた。仕事の帰りに買い物をして、家に着いて玄関で靴を脱ぐと、その足で台所に立つ毎日だった。
東京では3日間連続でトールペイントの講習を受けることになっていた。年に数回参加している。その受講は数ヶ月前に予約したものだった。ほぼ一人暮らし状態のときには楽しみにしていた予定だったが、急に家族が勢揃いすることになり、一家の主婦としては後ろ髪を引かれる思いで自宅を後にしたのだった。
いつも午前のレッスンに間に合うよう、朝5時半に家を出る。準備も含めてまだ暗いうちに起床しなければならず、生活のリズムは完全に変わってしまうし、緊張感もあった。
今ふり返ると無理をしていたと思う。自分のキャパを超えていたのだろう。
10連休のおかげで、何にもしない、真っ白な一日を連続して過ごせたのは、ある意味、幸運だったかもしれない。おかげで治療に専念できたのだった。
仕事は長い休みだったし、特に予定を入れていなかったので、誰にも迷惑をかけることはなかった。ただ、片付けをしたり、買い物に行ったり、鉢植えの世話をしたり、近くの植物園に散歩に出かけたり、というような、やりたかったちょっとしたことが何もできなかっただけである。家族がみんなで外出するときは一人で留守番をしていた。
本は読むことができたけれど、原稿を書く気にはなれなかった。何通かの手紙だけを書いた。
仕事は長い休みだったし、特に予定を入れていなかったので、誰にも迷惑をかけることはなかった。ただ、片付けをしたり、買い物に行ったり、鉢植えの世話をしたり、近くの植物園に散歩に出かけたり、というような、やりたかったちょっとしたことが何もできなかっただけである。家族がみんなで外出するときは一人で留守番をしていた。
本は読むことができたけれど、原稿を書く気にはなれなかった。何通かの手紙だけを書いた。
病院に行くにもどこもお休みだったので、湿布を貼ってひたすらじっとしていた。
治らなかったらどうしよう、という恐怖だけがあった。若い頃のギックリ腰とは違う。老いるということはそういうことなのだと思った。
自由に動けた日々が、奇跡のように感じられた。
治らなかったらどうしよう、という恐怖だけがあった。若い頃のギックリ腰とは違う。老いるということはそういうことなのだと思った。
自由に動けた日々が、奇跡のように感じられた。
10日間の休みが終わって、私は仕事に復帰した。
今、身体は8割くらい元通りになったがまだできないこともある。
今、身体は8割くらい元通りになったがまだできないこともある。
動作はいつもよりやや緩慢である。
それでも言わなければいつもの私だと周りは思っているだろう。
階段の踊り場で足踏みをしていたような10日間だった。
一生の中には誰にでもこんな日々はあるのだろうと思う。
それでも言わなければいつもの私だと周りは思っているだろう。
階段の踊り場で足踏みをしていたような10日間だった。
一生の中には誰にでもこんな日々はあるのだろうと思う。
元にもどれた有り難さをみんな感じるのだろう。
意味があるとか無いとか考えることもなく、ただ淡々と過ごした時間だった。
意味があるとか無いとか考えることもなく、ただ淡々と過ごした時間だった。
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