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賞味期限が切れていく!

 賞味期限がなにしろ切れていく。
 私の母は生きていた頃、何かの賞味期限が切れてることを指摘すると、じゃあ早く食べなくっちゃ、と答えたものだったけれど、私自身も、ものによるけど多少過ぎていたって食べることが多い。
 子育てをしていた頃は、賞味期限の切れたものを子どもに食べさせることはできない、と思っていたし、そう言ってもいたせいか、大人になった子どもらは賞味期限を厳格に守って、そう簡単には口にしない。日付けを見て過ぎていたら無条件に捨てている。ちょっともったいないなと思うけれど、安心ということはある。でもこの安心が曲者なのだ。
 実際にはお弁当や生ものなど日持ちのしない食品に付けられた消費期限というものと、美味しく食べられることを保証するという意味での賞味期限の二種類があるというけれど、なんとなく頭の中で混ざっている。
 自分の目や鼻で判断すればいいことで、昔はみんなそうしていたはずなのに。
 
 昨日、冷蔵庫の牛乳が賞味期限を過ぎていることに気がついた。
 ああ、とがっくりしてしまう。牛乳だし……、と使うことを躊躇してしまう。
 珈琲にいれるために500㎖の小さなパックのものを買い置きしているのだけれど、たいていは使い切れない。まだあるからと安心してしまい、それで買い換えるのを忘れてしまう。
 ほぼ一人暮らしの毎日では、いろんなものの賞味期限が次々と切れていくのだった。
 大根おろしにかけるつもりで一回分残してあったちりめんじゃこ、カブラのお漬物、大切にしていた栗きんとん、チューブに入ったワサビも、醤油も、めんつゆも、マヨネーズも、お好み焼きソースも、あっと思うと賞味期限が切れている。
 見つけるたびに、えっ、えっ、と思う。
 胃腸薬を飲もうとしたら、その薬も期限が切れていた。
 気がついたら賞味期限が切れたものに囲まれて暮らしているのだった。
 テレビやトースターなどの電化製品だって部品は六年間しか保存されていないと聞く。
 なんだか新陳代謝を常に迫られているように感じられる。
  
 やはりはっきりとした日付けの数字があると、ドキッとさせられるというのが原因のひとつだと思う。
 それに気づかず、使い切れなかった自分が情けない、という気持ちがおこる。
 私の場合は特にそのことへの罪悪感のようなものが大きい。
  
 なんでもできるだけ小さな容器に入ったものを買って、使い切っては買い換える、という対策をついとってしまうけれど、これはどうしても割高になってしまう。
 新鮮なものに囲まれて安心する気持ちと、数字に振り回されることへの口惜しさと、どちらを優先するのがいいのだろう、と悩む毎日である。
 

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