風吹く良き日
「風吹く良き日」という韓国映画を大学生の頃にみて深い感銘を受けた。
今でもこの題名を思い出すと、心の中を風が吹き渡るような前向きな気持ちになる。
今年の1月初めくらいから、私の周りでいろんなことが続けて起こった。
洗面台の水漏れから始まって、郵便受けに付けていた表札が落下したり、流し台のパイプが詰まったり、といった生活に関わるトラブル。
それと、長く通っていた東京のトールペイントスタジオを続けるかどうか、またコロナで休んでいた英会話のレッスンをどうするか、新しい文章講座を始めるかどうか、という決断を迫られるようなことがいくつか重なった。
編集をやっている雑誌に、ある人の原稿を掲載するかどうかで、発行人と論争するということもあった。
夫が定年を迎え、息子が独立して家を出て行く計画も進んでいる。
いろんなことが現在も進行形で続いていて、なんとなく、今って自分の変化の時だな、と感じている。
私はこうしたことに、ひとつずつ対応を続けた。(そうしないとしょうがなかったので)
家のことは知り合いの職人さんに電話をしたら、すぐにやって来てなおしてくれた。これは想像していたより簡単になおった。
表札は25年くらい前に自分で描いたものだった。
かなり凝ったテディベアの絵が描いてあり、同レベルの絵を描き直す時間と気合いがなく、悩んだ末に、その板を補修してニスを数回塗り直してまた郵便受けに貼り付けた。
東京のペイントスタジオは退会することにした。
交通費やレッスン代を考えてみれば贅沢なことだったし、日程を調整してハードなスケジュールを組んで出かけることに、体力的な不安を感じたからだった。
英会話は続けることに決めた。次はいつイギリスへ行けるかわからないけれど、週に一度、英語を喋る機会をなくさないでおこうと思ったのだった。
新しい文章講座は引き受けることにした。
これは病気で辞める前任の先生からの頼みを断りきれなかった、という理由が大きい。
それから雑誌のことでは、結果的に、自分の意見を通した。
どの問題も、出現したときは胸がモヤモヤしたけれど、自分なりに考えて、対処して結論を出して、今はスッキリしている。
そういう流れのなかで、救われるような思いのする出来事もあった。
尊敬する作家の先生から、私の小説について、
「よく書いている」
と言ってもらえたこと。
知り合いのイタリアンレストランのシェフから店の看板を依頼されたこと、などがそうだった。
それらは、暗い川の流れをほんの少し変えてくれる石のようだった。
久しぶりに友達に会って、〝変化の時〟ということを話すと、彼女は、
「今はみんなそうなのよ。〝風の時代〟って呼ばれてるのよ」
と教えてくれた。
〝風の時代〟というのは占星術的な視点からの言葉らしかった。
変化を遂げて、新しいことが始まる時期ということのようだ。
自分だけじゃない、と言われたことが私には印象的だった。
3月という、春を感じる季節になった。
この〝風の時代〟という言葉から、私は、冒頭の「風吹く良き日」を思い出したのだった。
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