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大阪の貌

 十数年ぶりに会った友人のMから一冊の本をもらった。
 ある会合に彼は赴任先の山梨から来ていて、これ、おもしろかったから、とだけ言って私にその本を手渡して、そのまま帰っていった。(彼は貸したつもりかもしれない)
 その、岸政彦という作者の本を読んでびっくりしたのは、その中の小説の舞台が私の住んでいる街だったことだ。
 地理や地名、建物やお店もそのまま書かれていて本当に驚いた。(Mがそれをわかっていたかは不明だけど)
 その後、図書館でその作家の本ばかりを借りて続けて読んだ。
 自伝的なエッセイから、彼が大学入学と同時に郷里の名古屋を離れて大阪に移り住んだことを知った。
 一時期、ほんとに私と同じ街に暮らしていたこともわかった。
 
 彼が大学受験のためにひとりで大阪に来て、天王寺のホテルに泊まったとき、そのホテルの真横の路地でヤクザが発砲事件を起こした。
 そのニュースを聞いたときに、ああ、自分はここに住もう、と思ったそうだ。
 そういうディープな感じに惹かれたのだろう。(よくわかる)
 新世界のジャンジャン横町で老夫婦の営むお好み焼き屋に行き、地下鉄の中では小学生達の漫才のような会話に感動したらしい。
 
 同じ街に住んでいたのは今から三十年ほど前の6,7年間で、私はちょうど二人の幼い子どもらを必死で育てていた頃だ。
 彼のアパートは広い道路を隔てた西側にあったようだ。
 私が住んでいたのは東側だけれど、生活圏はほぼ重なっていたはず。
 けれど若い男性と、子育て中の主婦が見ていた街の貌はずいぶん違っていたように思う。(あたりまえのことだけど)
 
 彼は三十年前の大阪を、〝自由で、反抗的で、自分勝手で、無駄遣いが好きで、見栄っ張り〟だったと書いている。今はその面影すらもないが、と。
 確かに大阪はそういう貌をしていただろう。
 奈良に近い農村地帯で生まれ育ったので、一応、大阪出身といえるけれど、結婚を機に大阪市内に暮らし始めた私にとってはこの街は別世界のようだった。  
 そこに暮らすひとり一人に、街は違う貌を見せる。
 
 電車の中で見かけた高校生達に、子どものいない彼は、大阪を地元として育つ自分の子どもがいたら、と想像する。
 そのS高校は、ちょうどうちの二人の子どもらがともに通っていたところだった。
 子どもらは三歳違いだったので、入れ替わりに入学して、私は六年間、行事やら懇談やらのたびにその高校へ自転車で通ったのだった。
 遠足で体調を崩した娘を迎えに行ったこともある。
 私は自分がそうじゃなかったので、伝統のある公立高校へ子どもらを行かせたいと思っていた。
 子育てのために費やした時間、お金、気持ち、の容量は膨大で、それがよかったとか悪かったとかいう感覚はない。
 
 私はこの街で〝大阪のおばちゃん〟になったけれど、市内出身の、生粋の大阪のおばちゃんにはなかなかかなわないところがあり、コンプレックスさえ抱いている。
 住んでいてもどこか懐かしさのあるこの街に、私は今も、この先も暮らし続けるつもりだ。
 さまざまに表情を変えていく、その貌をみつめながら。
 

タグ:岸政彦
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M

通りすがりに幸運な偶然に巻き込まれてしまう世界があって、掛け引きのない会話で物語が作られている。
大阪の顔の一つには、太陽の塔もあるのかな。
猫や犬は、飼い主に愛されていてほしい。
海の中の生き物は、人の気持ちとか関係なく暮らしてる。
幸福を追求する微かな希望が途切れることなく、恋せえへん
by M (2022-02-16 02:17) 

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