ちびまる子ちゃん
ちびまる子ちゃんを初めて観たときは衝撃だった。おもしろくて涙が出るくらい笑った。確かテレビアニメのほうが先だったと思う。そのあとで漫画を読んだ。
ちょうど娘がまるちゃんを好きになるような年頃だったので、一緒に観たり読んだりしていた。お人形もあったし、いろいろなキャラクターグッズも家にあった。
娘は成長するに連れて、この作者であるさくらももこさんのエッセイを読むようになり、大人になってからも本棚にはコミックスと彼女の著作が並んでいた。
ちょうど娘がまるちゃんを好きになるような年頃だったので、一緒に観たり読んだりしていた。お人形もあったし、いろいろなキャラクターグッズも家にあった。
娘は成長するに連れて、この作者であるさくらももこさんのエッセイを読むようになり、大人になってからも本棚にはコミックスと彼女の著作が並んでいた。
それまでの少女漫画のヒロインというのは綺麗で性格がよくてけなげだった。道徳の教科書に載るような少女達ばかりで、私達はそういう作りものとしての彼女たちを、作りものとして愛していたと思う。そういうものでなければいけないのだと思い込んでいた。
まるちゃんが画期的だったのは、彼女が、自分自身の弱さや愚かさ、本音をさらけ出す初めてのヒロインだった点にあると思う。
ここまで自分を落とすのか、と驚きながら、私達は彼女に強い親近感を抱くことになった。
まるちゃんが画期的だったのは、彼女が、自分自身の弱さや愚かさ、本音をさらけ出す初めてのヒロインだった点にあると思う。
ここまで自分を落とすのか、と驚きながら、私達は彼女に強い親近感を抱くことになった。
サボり屋さんでわがままで、すぐおじいちゃんを味方につけてズルをする。でも寂しがりで感動やで、正義感も強い。どこにでもいる普通の女の子である。
お話には必ずオチがあって、まるちゃんは痛い目にあう。人ごとながら、それがかわいそうだけれどおかしくて笑ってしまう。そういう姿にどこか安心させられるのだった。
お話には必ずオチがあって、まるちゃんは痛い目にあう。人ごとながら、それがかわいそうだけれどおかしくて笑ってしまう。そういう姿にどこか安心させられるのだった。
カニが食べたくてしょうがなくなる話では、まるちゃんは確かおじいちゃんと一緒に高級ガニを買いに行き、コツコツ貯めていた貯金を全額使ってしまう。そして、家族に分けずにそれを食べるのだが、ちょうど食べ終わったときに親戚から箱いっぱいのカニが家に届くのだった。
またこれは映画だったと思うが、絵描きの卵のお姉さんと仲良くなる話では、お姉さんがコンクールで賞を貰った絵が掲載された雑誌を同級生の男の子からもらうために、まる子は夏休み中、毎日鶏小屋の掃除をする約束をする。けれど家に帰るとその本がお姉さんから送られてきているのだった。
とほほ…、と肩を落とすまる子の姿は自分と同じ生身の、そう運に恵まれてもいない女の子なのである。
作者の突然の訃報には驚きと残念な気持ちでいっぱいになった。
追悼として「イタリアから来た少年」という映画がテレビで放映された。まる子が自宅にホームステイすることになったアンドレアという少年と心を通わせるストーリーである。
彼の帰国が近づいた頃、二人で灯籠祭りに出かける場面があった。
橋の上で花火を見上げながら、彼は将来カメラマンになりたいと夢を語る。そしてアンドレアはまる子にも将来の夢を尋ねるのである。
ここで画面はまる子の顔のアップになる。彼女は、目をキラキラ輝かせて、
「わたし、漫画家になりたいんだ」
と答えるのだった。
追悼として「イタリアから来た少年」という映画がテレビで放映された。まる子が自宅にホームステイすることになったアンドレアという少年と心を通わせるストーリーである。
彼の帰国が近づいた頃、二人で灯籠祭りに出かける場面があった。
橋の上で花火を見上げながら、彼は将来カメラマンになりたいと夢を語る。そしてアンドレアはまる子にも将来の夢を尋ねるのである。
ここで画面はまる子の顔のアップになる。彼女は、目をキラキラ輝かせて、
「わたし、漫画家になりたいんだ」
と答えるのだった。
作者自身を投影しているまるちゃんのこの言葉が私には深く心に残った。
彼女は時代を変えた漫画家になった。
テレビアニメはこれからも放映されるそうである。
そうして彼女の産んだ愛すべきヒロインはいつまでも生き続けるのだと思う。
テレビアニメはこれからも放映されるそうである。
そうして彼女の産んだ愛すべきヒロインはいつまでも生き続けるのだと思う。
台風がくる。
この夏はよく台風が来る。台風は三日程前にならないと情報が定まらないので困る。
予定を早めに決めて、それに向けて少しずつ準備をしながら自分の中で段取りなどを固めていく性格なので、急な変更には人より大きなダメージを受けてしまう。
新幹線に乗る予定があるときなどはチケットを見ながらハラハラしている。行けるなら行きたいのでぎりぎりまで出発できる体勢でいる。19号のときは20号との狭間を縫うように行けたけれど、大阪北部地震の翌日は運行している新幹線に乗ることをあきらめた。余震があるかもしれないと、周囲から強く止められたからだった。
予定を早めに決めて、それに向けて少しずつ準備をしながら自分の中で段取りなどを固めていく性格なので、急な変更には人より大きなダメージを受けてしまう。
新幹線に乗る予定があるときなどはチケットを見ながらハラハラしている。行けるなら行きたいのでぎりぎりまで出発できる体勢でいる。19号のときは20号との狭間を縫うように行けたけれど、大阪北部地震の翌日は運行している新幹線に乗ることをあきらめた。余震があるかもしれないと、周囲から強く止められたからだった。
私は今、一人で台風21号を迎えようとしているところである。
昨日のうちから仕事が休みになり、電車の運行も中止となった。体操教室も日程変更の連絡があった。玄関先の植木鉢を片付けて、物干しのハンガーを一カ所にまとめた。
町の中の一軒家で周囲を防風林のようにマンションに囲まれている。ただ古いのと、角家なので横の道路から何かが飛んでこないかと心配している。
昨日のうちから仕事が休みになり、電車の運行も中止となった。体操教室も日程変更の連絡があった。玄関先の植木鉢を片付けて、物干しのハンガーを一カ所にまとめた。
町の中の一軒家で周囲を防風林のようにマンションに囲まれている。ただ古いのと、角家なので横の道路から何かが飛んでこないかと心配している。
家族や友達が「大丈夫?」と電話をくれる。「そちらはどう?」と情報交換をする。みんな優しいなぁと思う。
町の中はシーンとしている。仕事が休みになった人が多いようでまるで日曜日みたいだ。外を出歩く人もいない。白紙のような一日である。
私は8月末締め切りの仕事が重なっていて、最後は、ほんとにできるだろうか、と焦りながらなんとかすべてを終えたところだった。
なかでも自分の小説原稿はかなり長い期間をかけて書き直しを繰り返していたので、手放した後、妙に身心が軽くなりすぎたような、喪失感に似た感覚がある。
これが終わったらやりたいことがいっぱいあった。
本を読んだり、買い物に行ったり、家の片付けをしたり、絵を描いたり、通販カタログを見たり、郵便物の整理をしたり…。他にも細々としたことがある。
何をするにも時間と気持ちの余裕を持っていられるというのはうれしいことだ。
私は8月末締め切りの仕事が重なっていて、最後は、ほんとにできるだろうか、と焦りながらなんとかすべてを終えたところだった。
なかでも自分の小説原稿はかなり長い期間をかけて書き直しを繰り返していたので、手放した後、妙に身心が軽くなりすぎたような、喪失感に似た感覚がある。
これが終わったらやりたいことがいっぱいあった。
本を読んだり、買い物に行ったり、家の片付けをしたり、絵を描いたり、通販カタログを見たり、郵便物の整理をしたり…。他にも細々としたことがある。
何をするにも時間と気持ちの余裕を持っていられるというのはうれしいことだ。
風雨は強さを増してきているが、私はじっと台風を待つことに集中している。
夕方には過ぎていくだろうとニュースは伝えている。
無事にやり過ごせたら、とにかくまず洗濯をしようと今は考えている。
夕方には過ぎていくだろうとニュースは伝えている。
無事にやり過ごせたら、とにかくまず洗濯をしようと今は考えている。