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伊勢まいり

 小学校の修学旅行で伊勢に行った。なんとなく昔からの伊勢参りの伝統にのっとった古風なしきたり、というイメージで、周囲から納得の笑顔で送り出されたように思う。当時は、これは私だけかもしれないけれど、修学旅行に行くというと親戚中からお祝いをもらったものだった。
 田舎の学校で子ども達はみんな地域に親戚が多いので、お土産の「おふくもち」(赤福餅に似た、あんこでくるまれたお餅)は事前に小学校に注文する仕組みだった。
 けれど実際に行って覚えているのは五十鈴川の水がきれいだったことと、二見浦の旅館に泊まり、早起きして夫婦岩の向こうからの日の出を見たこと、しかない。
 その後、内宮の参道におかげ横町ができた時に家族で出かけたことがある。これは日帰りだったが、やはり幼い子どもらと五十鈴川に手を浸したことしか記憶がない。
 
 
 この年末に、一泊で伊勢へ出かけることになったのは親しい友人夫婦が一度も行ったことがないのでお参りしてみたいと言ったことがきっかけだった。
 夫妻は広島出身で兵庫県在住だけれど、今の生活のままだとおそらく機会はないだろうと思われた。一生に一度は行ってみたい場所、という共通認識は年齢にもよるのかもしれないが、私達も自然に理解できたので、それで二組の夫婦が一台の車で旅に出ることになったのだった。
 行くと決まると楽しみで、私はその日までの仕事を頑張って終わらせ、風邪を治して体調を整えた。どこに出しても恥ずかしくない、まっとうな目標だった。ディズニーランドに行くよりは少しばかり古風な感じがあったけれど。
 
 そうして実際に伊勢神宮に行ってみて、私は今まで頭の中になかった多くのことを認識した。
 そこはとてもシンプルですっきりとして清々しい場所だった。無駄なものがなく、控えめで、多弁ではない。普段は仏像に手を合わせることに慣れていたけれど、そこでは神様のおられる建物を拝むのだった。古来から同じ工法で造られたものである。それを見ていると、仏教が伝わる前の日本の生活や習俗のなかから自然に生まれた信仰、という説明がしっくりと身体に馴染んだ。

 千数百年前の感覚にホッとする、安心感を抱く、というのがとても大きな、そして新鮮な発見だった。
 この年齢だからこそ、わかったことだと思う。
 
 私は今、一年をしまう準備をしている。まだ仕事が残っているし、すべてを完璧に終えることはできないけれど、例えばカーテンの洗濯だとか、台所の換気扇の掃除だとか、書類の整理だとか、自分なりにできることをして、けじめをつけたいと思っている。
 
 あなたもどうか良いお年をお迎えください。

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