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頭のバカンス

 八月に入ったら娘が二歳の孫を連れて帰ってくること(そして一月間我が家に滞在すること。それに合わせて夫が単身赴任先から帰ってくること)がわかっていたので、私は事前からかなり念入りに準備をしていたのだった。
 具体的には八月末締め切りの仕事をほぼ仕上げておく、ということで、この、ほぼ、というのは一ヶ月先の締め切りに合わせて原稿を完璧に仕上げるのは私には無理なので、隙をみつけて少しずつ完成させられるくらいまで仕上げておく、という意味である。
 それでも根を詰めてやっておいたので、何とかなりそうなでき具合で、安心してこのお盆休み月に突入したのだった。
 
 そうして家族が勢揃いすると、予想通り私の生活は一変し、毎日の三度の食事と、二歳の子の相手をどれだけきちんとしてやるか、ということで頭は一杯になった。
 新聞や本を読む時間はなく、テレビの画面には録画していた子ども番組やアニメ映画だけが流れてニュースを見ることもない。
 それまで、小説の主人公の心理状態をどういう言葉で表現するかをただひたすら考えていた私の頭は、ほぼ思考を停止したような状態になってしまった。
 大学時代に親しかった友人達のなかで、結婚しているのは半分程度、そのなかで子どもがいるのがまた半数。そして孫がいるのは今現在、私ひとりだけである。
 家族や子ども、孫がいない人は、こういう感覚を体験することはないのだろうな、と思うときがある。
 すべての自分の問題を後回しにして、そのことを全く考えない時間が何週間か続くのである。
 頭の中はただ穏やかな海辺の風景のようになっている。
「ばあばー」
と二歳の女の子に呼ばれると、
「はいはい」
と答えて彼女の正面に座り、おままごとの相手をしたり、パズルをしたり、お絵かきをしたりする。彼女の健康状態に注意を払い、バランスの良い食事を作る。
 他に何も考えず、百パーセントの状態で孫に対峙するのである。
 でも百パーセントである限り、これはこれでとても楽しい時間なのだった。
 そして一緒にお風呂に入り、一緒に眠る。昼寝をしない子なので、私も起きている間ずっと一緒に時間を過ごすのだった。
 
 それは自分の子孫に、自身が大切にされ、誠意と愛情を尽くされているという感覚を持って、健やかに豊かに成長してもらいたいと願っているからに他ならない。
 もしも咄嗟の判断が必要な瞬間がやってきたら、私は躊躇せずこの子の楯になるんだろうと思う。
 
 お盆休みは娘にとって身心を休めるバカンスになっている。
 凪いだ海の状態でいる私の頭の中もバカンスのようになっている。
 バカンスはリフレッシュに繋がる。
 リセットされた私の脳にはハッとするような新しいイメージや発想や表現があふれることになる可能性がある。
 しかし、どんな仕事でも、一日休むと勘を取り戻すのに三日かかるという言葉もある。
 そうなると私の文章感覚はすでに取り戻せないほど遙か彼方に行ってしまい、思考回路がさび付いて動かなくなっているかもしれない。
 
 この夏も、あと少しで終わりを迎える。
 …どちらにしても、そのとき考えるしかない。

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