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バナナブレッドのプティング

 おぼえ間違いをしていることって案外多いんだな、と思う。そのことに気づいたときはほんとにハッとする。
「バナナブレッドのプティング」は大島弓子さんの大好きな作品で、何度も何度も読み返していたはずなのに、ラスト近く、一番いいところで登場する飲み物を、間違っておぼえていたことに気づいたときはちょっとショックだった。
 
 物語の最後、主人公の衣良(いら)は転校をきっかけに再会した幼なじみの御茶屋さえ子の、兄、峠(とうげ)に対する自分の気持ちが理解できずに混乱し、自分が鬼に食べられたと思い込む。カウンセラーの教授を刺したと勘違いして、暗闇の中を駆けて御茶屋家に逃げてきた衣良は、
 ―それからは(夢の中で鬼に食べられてからは)ときどき自分でもコントロールできないことをやってしまうの いやなことばやわけのないにくしみがわたしを支配してしまうのー
と峠に告白する。
―わたしはあなたもにくんだの 試合に負けるように祈ったの みんながあなたに失望するようにいのったのよー
 峠はその言葉で彼女の気持ちを理解する。彼女の思いを理解し、彼女の存在すべてを愛おしいと感じる。
 
 わたしはいつかほんとうに人殺しだってやってしまうかもしれない、と言う衣良に対して彼が答える。
―うーん 眠っていてぶっすりやられりゃこっちの負けだ きみにここにいてくれとたのむ以上 ぼくは身のかわしかたを身につけねばならない これは仮定だけど そんなときぼくはさっと身をひき さっと台所まで走り さっとミルクをわかす そしてきみにわたす 
「さあ ミルクを飲んで」
「心がなごむよ」
そうすると きみはおちついてうなずいて
「またあしたね」
というだろうー
―ぼくはきみがだい好きだー
 
 衣良が何もかもから救われるこの場面の、あたたかなミルクを、私はココアだと思い込んでいたのだった。
 それで、このブログの名前を「一杯のココア日記」と変えたのに、それが思い違いだったのだ。
 
 ああ、とうなだれてしばらく思い悩んだけれど、それでも自分のなかで醸造され、形を変えたのだったなら、それを大切にしようという気持ちになった。
 
 この名前で新しい年を迎えます。
 衣良のお姉さんがおなかの子どもに「まあ生まれてごらんなさい 最高に素晴らしいことが待っているから」と語りかける、この、「最高に素晴らしいこと」って何なのでしょうか。
 あなたも来年、それに出会えたらいいですね。
 

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賞味期限が切れていく!

 賞味期限がなにしろ切れていく。
 私の母は生きていた頃、何かの賞味期限が切れてることを指摘すると、じゃあ早く食べなくっちゃ、と答えたものだったけれど、私自身も、ものによるけど多少過ぎていたって食べることが多い。
 子育てをしていた頃は、賞味期限の切れたものを子どもに食べさせることはできない、と思っていたし、そう言ってもいたせいか、大人になった子どもらは賞味期限を厳格に守って、そう簡単には口にしない。日付けを見て過ぎていたら無条件に捨てている。ちょっともったいないなと思うけれど、安心ということはある。でもこの安心が曲者なのだ。
 実際にはお弁当や生ものなど日持ちのしない食品に付けられた消費期限というものと、美味しく食べられることを保証するという意味での賞味期限の二種類があるというけれど、なんとなく頭の中で混ざっている。
 自分の目や鼻で判断すればいいことで、昔はみんなそうしていたはずなのに。
 
 昨日、冷蔵庫の牛乳が賞味期限を過ぎていることに気がついた。
 ああ、とがっくりしてしまう。牛乳だし……、と使うことを躊躇してしまう。
 珈琲にいれるために500㎖の小さなパックのものを買い置きしているのだけれど、たいていは使い切れない。まだあるからと安心してしまい、それで買い換えるのを忘れてしまう。
 ほぼ一人暮らしの毎日では、いろんなものの賞味期限が次々と切れていくのだった。
 大根おろしにかけるつもりで一回分残してあったちりめんじゃこ、カブラのお漬物、大切にしていた栗きんとん、チューブに入ったワサビも、醤油も、めんつゆも、マヨネーズも、お好み焼きソースも、あっと思うと賞味期限が切れている。
 見つけるたびに、えっ、えっ、と思う。
 胃腸薬を飲もうとしたら、その薬も期限が切れていた。
 気がついたら賞味期限が切れたものに囲まれて暮らしているのだった。
 テレビやトースターなどの電化製品だって部品は六年間しか保存されていないと聞く。
 なんだか新陳代謝を常に迫られているように感じられる。
  
 やはりはっきりとした日付けの数字があると、ドキッとさせられるというのが原因のひとつだと思う。
 それに気づかず、使い切れなかった自分が情けない、という気持ちがおこる。
 私の場合は特にそのことへの罪悪感のようなものが大きい。
  
 なんでもできるだけ小さな容器に入ったものを買って、使い切っては買い換える、という対策をついとってしまうけれど、これはどうしても割高になってしまう。
 新鮮なものに囲まれて安心する気持ちと、数字に振り回されることへの口惜しさと、どちらを優先するのがいいのだろう、と悩む毎日である。
 

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