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ちはやふる

 昨日、今年のカルタの試合が終わった。
 前回は3位の成績だったので、今年は4位のチームとの対戦だった。そのチームとは数年前に対戦し、大差をつけて勝ったことがある。その時はメンバーが定まっていないようで、ほとんど経験の無い人が出場していた記憶がある。
 それが昨年4位というのだから、メンバーが入れ替わっていることだけは確かなようで、それ以外の情報がないまま、私は少し緊張しながら試合に臨んだのだった。
 
 各地域からAとBの3人のチームが二つずつ出て、それぞれ相手を変えて2回取り合う。試合が始まってみると、相手チームはどこから集めてきたのだろう、と思うくらい、6人とも30~40代くらいで、スピードのある取り方をする人達が揃っていた。実力的には自分と拮抗しているように感じて、取ったり取られたり、と息詰まるような展開だったけれど、そのなかで微妙にこちらが負けていく、というとてもしんどい試合だった。

 一試合目ははがゆい思いをしたが、二試合目は吹っ切れて、私はかなりの札を取ることができた。私は3人チームの真ん中に座り、どこへでも手が届く位置にいる。両側のメンバーは私に比べると経験が浅く、少し萎縮しているようだった。
 特に左側のKさんはいつも自信なげにゆっくり札を取るので、私は、
「何回お手つきしてもいいから、思い切って取ってね」
と言っておいたけど、相手チームの正面の人がぐいぐいと前の札を責めてくるので押され気味だった。それで私は左手で彼女の前を守った。
 
 映画にもなった「ちはやふる」(末次由紀作 講談社)という競技カルタの漫画を、私はこの試合前に読み返していた。
 カルタのおもしろさや深さをよくここまで描いてくれたな、と思う作品である。主人公の「ちはや」はモデルの姉を持つ美しい少女で、
―ちはやふる神代もきかず竜田川 からくれないに水くくるとはー
という札を十八番にしている。
 彼女が同い年のクイーンと初対戦でボロボロに負けながらも爪痕を残す、という場面を前日の夜に読んで、いやがおうにもテンションが上がっていたのだった。

 私は、カルタの試合に出るんです、といろんな人に言って、心のなかでの応援を頼んでいたので、苦しい展開になった試合中に、その人達の顔が浮かんだ。
 その中のTさんは、カルタとは全く縁が無さそうだったけれど、私のカルタ話をニコニコしながら聞いてくれて、試合中にパワーを送ると約束してくれた。
 二試合目が始まったとき、そのTさんの笑顔が思い出された。Tさんは、私がどんな結果に終わったとしても、その話を、うんうんと聞いてくれて、結果なんてゼンゼン関係ない、と言ってくれそうだな、と思った。大丈夫、大丈夫。あなたが一生懸命頑張ったこと、それだけでいいんですよ、と明るく言ってくれそうだった。(むりやり言わせてる感もあるけど)
 そう考えると気持ちがふっと楽になった。
 
 百人一首については今までにも小説を何作か書いていて、現在進行形の原稿にも登場させている。けれど、私は百人一首の本当の魅力、というものが今ひとつ伝えきれていない、というもどかしい思いを抱いてきた。それは私自身がその本質を掴み切れていないからだと思う。
 最近読んだ「百人一首という感情」(最果タヒ著 リトルモア)という本から、その答えのヒントをもらったような気がしている。
 若い詩人の感性の繊細なことには、脱帽するばかりだな、と感心した本だった。

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