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マスク屋さん

 ここ二週間ほど、私は毎日内職のように布マスクを縫い続けてきた。ミシンはテーブルの上に出しっぱなし、布やゴムが周囲に散らばった状態で、気がつくと身心ともに疲れ果ててしまっていて、マスク作りで免疫力を落とすというのも本末転倒だな、と冷静な判断をしてとにかく今週いっぱいで店じまいを決心した。
 
 
 ことの始まりは一ヶ月程前、遠く離れた場所に住む友人Kさんが、人に頼まれて布製マスクを作ったと写真付きでインスタグラムに投稿しているのを見たことだった。
 ちょうどマスク不足が言われているときだったので、久しぶりに彼女に連絡をして、私も注文できるかと尋ねてみた。
 するとKさんは快く引き受けてくれて、私は四枚の手作りマスクを受け取ったのだった。これは一枚300円だった。
 仕事で必要な紙マスクはまだ少し在庫があったし、その上に手洗いしながら繰り返し使える布マスクを手に入れたことでホッとしたことを覚えている。
 そして、私は毎年3月の土日に開催している手作り品の展示販売会に、マスクを出品できたらいいなあ、と考えたのだった。
 Kさんに聞いてみると、娘さんが出産のため里帰りしていて、もうこれ以上は作れないという。
 
 
 そこで初めて、自分で作ってみようか、という気持ちが起こった。最近は使っていないけれどミシンは得意なほうである。
 布マスクの作り方、と検索してみると、型紙がダウンロードできた。YouTubeでは懇切丁寧な作り方が映像付きで公開されていた。それを見て、自分でも作れそうだ、と思ったのだった。マスク不足の昨今、人に喜ばれると思うとうれしかった。
 思いつきにわくわくして、翌日、手芸材料の問屋さんへ材料を買いに出かけた。材料不足を心配していたけれど、行ってみると、店内に「マスクコーナー」があり、ダブルガーゼがたくさん並んでいた。ゴムも山積みになっていた。
 問屋さんなので裁断は一メートル単位だった。私はどんな洋服にも合うように考えて女性用の柄物二種類と、男性用に、紺とグレーの無地を買った。裏にはサラシを使おうと思っていた。これはそのお店では売り切れていたので帰り道の着物屋さんで買った。
 洗ったときにマスクが縮んではいけないので、とりあえず生地を水洗いして、その夜、物干しにかけた。そして翌日から一気にマスクを作り始めたのだった。
 最初はネットの型紙のままで作り、自分で一日つけてみた。これはKさんが作ってくれたのと全く同じサイズだったが、つけて仕事をしていると鼻の下にズレてきて少し小さいということがわかった。
 それで、この標準サイズをSとし、一回り大きいものをM、もう一回り大きいのを男性用のLとした。
 この段階で息子から、同僚の分を6人分、洗い替えを含めて12枚作ってくれと頼まれた。夫も数枚欲しいと言う。友人からも10枚の注文が入った。
 自分で試作品をつけていると、「手作りですか?」と声をかけられ、そうなんです、と答えると、たいていの人が数枚の注文をくれた。
 あっという間に私のマスク屋さん生活が始まったのだった。
 
 久しぶりに出してきたミシンはとても調子がよく、これはとっても有り難かった。はじめ、どこかにあるはずのミシン油が見つからなかったのに、一針目からよく働いてくれた。
 ミシンがけはとても楽しく、私はマスク作りにどんどん熱中していったのだった。
 しゃかりきになって憑かれたたように縫い続けた。
 糸の無駄が出ないよう、ミシンにどんどん生地を差し込むように縫っていると、昔、子供服を作る内職をしていた母の姿を思い出した。
 子どもの頃の私は、ミシンがけをしている母の横で、相手をしてもらえないまま一人で遊んでいたものだった。
 その母と、自分の姿が重なった。
 
 
 マスクは我ながらよい出来だった。
 自分でも洗いながら使っているがとても気に入っている。
 ゴムを通し、透明の袋を買ってきて一枚ずつ入れ、マスキングテープで止めて、値札を付けた。一枚500円で販売することに決まった。
 その後、再び材料の買い出しに行ってみると、あんなに豊富だったダブルガーゼの棚には商品がほとんどなくなっていた。ゴムもほぼ完売だったがなんとか仕入れた。サラシはまた着物屋さんで買った。
 家に帰って洗濯し、夜の物干しにかけ、乾いたものにアイロンをかけ、型紙に合わせて布を裁ち… と繰り返してまたミシンで縫い続けていたが、そういう毎日を続けていると、あるとき、どっと疲れが押し寄せてきた。肩が凝って気持ちも体にも倦怠感が漂った。
 
 
 慣れないことにがんばり過ぎたのだなぁ、と自分で反省し、しばらくマスク屋さんはお休みすることにした。
 昨日はとにかくミシンを片付けて家中の掃除をした。
 読みたい本もあるし、書きたい原稿もある。
 ほどよく、ということを学ばなければ、と胆に銘じた。
 
 この週末に向けて作りかけのものは完成させるつもりだけれど、マスク屋さんはそれで閉店にしようと思っている。

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気持ちを切り替えろ

 子どもらが通っていた高校の体育祭は、いつも三学年を縦割りにして四つのチームに分け、対抗戦が行われていた。
 そのチームの応援団は有志の参加でダンスを競い合い、毎年見応えのある戦いが繰り広げられたものだった。
 自分たちで曲を決め、振り付けを決め、衣装をデザインする。この衣装を縫うのが親の役目として回ってくる。
 体育祭は、六月頃に開催されるので、入学したばかりの一年生はよくわからないまま参加して、この高校の底力を思い知り、その自由さに身を委ねていくことになる。
 「自主自律」の校訓通り、校則や制服がなく、頭髪ももちろん制約がない。化粧もピアスも髪染めも咎められない。その代わりに責任は生徒本人が負うことになる。
 生徒達の応援団への熱の入れようは激しく、熱心な練習が連日繰り返される。
 親は心配しながらも、子どもが自らそこまで熱心に練習しているものを本番で見られるのを心待ちにするのだった。
 
 私もそんな親の一人で、毎年わくわくしながら体育祭を見に行っていた。
 応援団の演技はいつも午後の部の一番最初に行われた。四チームが順番に演技を披露し、生徒や教職員の投票で順位が決まったように覚えている。
 息子が二年生のときだったと思う。
 あるチームのダンスの途中で曲が途切れてしまった。音響の不備があったのである。
 しばらく中断して続行されたが、流れが切れたので勢いがなくなってしまった。
 それでもチームのメンバーは一生懸命に踊って演技を終えた。
 
 その後、本部で審議が行われ、そのチームは最後に再び演技をすることが決まった。
 それが放送されると、待機場所にかたまっていたそのチーム内にざわめきが起こった。メンバー達の緊張感はすでに切れていて、もう一回テンションを上げる気力が残っていない様子なのだった。勝手に方針を決めた本部への不満もあったと思う。
 私はそばで彼らを見ながら、どうなるんだろう、とハラハラしていた。
 
 その時、そのチームのリーダーの男の子が立ち上がった。
 彼はライオンのような金色の髪をしていた。少しつり上がった目をしたやんちゃそうな少年だった。
 彼はメンバーに向かって大声で、
「気持ちを切り替えろ!」
と叫んだのだった。
 彼の言葉は校庭中に響き渡り、辺りはシーンとなった。チーム内のざわめきは一瞬で消えたのだった。
 
 私は、なんてエラい子なんだろう、と感心すると同時に、物凄く感動した。
 応援団のリーダーになるくらいだから人望のある子なのだろうが、流石に選ばれるだけのことはあるな、と思った。
 その情景が今も目に焼き付いていて、私はことあるごとに思い出すのだった。
 
 新型コロナウィルスの影響で、日常がどんどん非日常の状態になっている。
 先の読めない閉塞感と不安。
 マスクもトイレットペーパーも思うように買えない。
 楽しみにしていた予定はすべて延期や中止になっている。
 気が滅入り、落ち込んでいく自分の心に、あの時の彼の言葉を私は注入し続けている。
「気持ちを切り替えろ!」
と。

タグ:自主自律
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