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古いピアノ

 家に古いピアノがある。
 私の姉が幼いときに買ってもらったものだから、55年くらいはたっている。
 当時、大阪南部の農村地帯で、ピアノを買うのが流行ったという話を父から聞いたことがある。少し経済的な余裕ができてきた時期に、ピアノはステータスシンボルのようなものだったのだろうか。私が子どもの頃は近所の友達の家にも親戚の家にも必ずピアノがあったのを覚えている。
 
 隣村に自宅でピアノ教室をしている奥さんがいて、みんなそこに習いに行っていた。
姉も私も週に一度通っていた。私はピアノがあまり好きではなくて一回も練習せずに行っていたので上達もせず、バイエルを終えたのが小学校の高学年になってからだった。
 家業が鉄工所だったので昼間は機械の音が鳴り響いている家の中でピアノを練習する気になれなかった、ということもあるけれど、やっぱりサボっていたのだと思う。何を隠そう私は音楽的な才能を一切持ち合わせておらず、絶対音感もない。その上音痴なのだった。
 けれどそのことをずっと後ろめたく思っていた。ピアノがもっと上手に弾けるようになる機会を棒に振ったことを後悔し、高い月謝を無駄にしたことを申し訳なく思っていた。
 それで、もし自分に子どもができたらきちんとピアノを練習させよう、と心に決めていたのだった。
 
 先に結婚した姉はピアノを持って行かなかったので、私がもらって嫁入りの荷物にした。すぐに娘が生まれ、三歳くらいからピアノ教室に通わせて、家でも熱心に教えた。この子はぐんぐん上手になって、小学校に入る頃にはバイエルを終え、あっと言う間に私を超えて、一人でかなりの難曲を弾きこなすようになった。
 息子にも同じように教えたので、中学の時には合唱大会の伴奏をしたりしていたけれど、こちらは野球のほうが性に合っていたようで、今ではピアノに見向きもしない。彼は親に言われていやいややっていたのだった。
 
 娘は大学生になるとピアノに触れる時間が減り、彼女が結婚して家を離れてからは、ピアノは誰にも弾かれないまま、放置状態となっていた。
 ピアノのある部屋は家の一番奥にあって、いろいろな物にあふれて魔窟のようになっていた。
 それを、この新型ウィルスの自粛生活の間に私は徹底的に片付けた。信じられないことに、ピアノの下に敷いていた絨毯には虫がついていることが判明した。私はそれを一人で駆除し、よく切れる裁ちばさみで絨毯を切りきざんで処分した。
 かくしてうちの奥の部屋はスッキリと片付き、他人に見られても大丈夫な状態になった。
 それで、15年ぶりにピアノの調律を頼むことにしたのだった。
 
 ピアノには出ない音がいくつかあり、もうダメだと言われたら処分するつもりだった。
 本体を毎日のように磨いてきれいにした。特に椅子の裏側には何十年来のホコリがからまりついていた。私は意地になってそれらを細部にわたって取り除いた。
 ツテをたどり、紆余曲折を経てやってきてくれた年配の調律師は、うちのピアノを見て、
「これは大変だな」
と呟いたけれど、三時間以上かけて調整し、きちんと弾ける状態にしてくれたのだった。
 すべてを終えた後、私が出したお茶を飲みながら、
「この型は懐かしいです」
と彼は言った。
 それから、
「私は若いときに大阪の富田林にある楽器屋に勤めていたのですが、このピアノはそこで買われたピアノのようです。楽器店の名前と、当時の私の同僚の名前が中に書いてありました」
と言った。
 富田林は私の実家に近い地方都市である。そこの楽器店で買ったというのは頷ける話だった。
 こんなことがあるんだなぁ、と思った。
 不思議なご縁が、日常のなかにさりげなく転がっている。
 奇跡のようなことなのに、私は淡々とそれを受け止めていた。
「いいピアノです。大事にしてください。まだまだ大丈夫です」
 そう言われて心にほっこりと灯りがともったようにうれしくなった。
「毎日弾くようにしてください。それがピアノのためになります」
 彼は最後にそう言い残して帰って行った。
 私は、これは大変なことになったなーと思いながら、娘が子どもの頃に弾いていた小曲集を取り出してきた。
 
 そしてその日以来、私は毎日三十分ほどピアノを弾いているのだった。
 まったく上達しないけれど、「わすれな草」という曲を毎日少しずつ練習している。

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