新しいメガネ
長いあいだ、ずっとメガネに憧れていた。
顔の印象が変えられるのがいいなと思っていたのだけれど、視力が良かったので縁がなく、伊達メガネというのを本気で考えたりしていた。
それが老眼が始まると、いやでもメガネをかけないといけなくなった。
初めの頃はうれしくて、いろいろなデザインのものを試してみた。お店でそういうことをするのもうれしかった。
けれど次第に、自分に似合う形というのがわかってきた。
アラレちゃんのようなマルメガネや、黒縁の四角いものは、ヘンに目立つだけで強い違和感があった。そういうのに憧れていたのに残念なことだった。
そのうちに、だえん型で顔に馴染むデザインのメガネが似合うことがわかってきた。
メガネを買い換えるのはもう数回目になる。
最近、老眼の度が進んでいるのを実感していたので、調べてもらって必要なら買い換えるつもりでお店に行った。先週のことである。
その日は午後1時から仕事があったので、家を早めに出て職場近くのお店に行った。
レンズ代込みで数千円から、というお店で、若い男性の店員にわけを話すと、検査は順番を待たなければできない、と言われた。テレビ画面に待ち人数が表示されていた。
巻き毛でほっそりとした、いわゆるシュッとしたイケメンの店員さんだった。
「じゃあ、仕事が終わってから、もう一度来ます」
と私が言うと、彼は、閉店は夜の7時だと言った。コロナの影響で時間が早まっているという。
「すぐそこのビルで、3時に仕事が終わるので、それから来ます」
と私が答えると、彼は、ああ、そうですか、とうなずいた。
私は自分の本気度が伝わったように感じた。
そうして仕事を終えた後にもう一度お店に行ってみると、さっきと同じ巻き毛の店員さんがいた。
画面を見ると、待ち人数はゼロだった。それで彼に会釈をしてみたが、私の顔を見ても無反応のようだったので、もう一度、来店理由を話した。
彼は、ああ、さっきの、とも言わず、気づいているのかどうかわからない様子で私の目の検査をしてくれた。
やっぱり度数が進んでいた。
新しいメガネを買うことに決めて、フレームを選ぶことになった。
彼は口出ししないのが礼儀、というふうに私を放っておいてくれたから、私はひとりでいろいろと試着してみた。
でもやっぱり慣れないデザインは違和感が生じた。何年も使うことになると予想できたし、今まで使っていたメガネのデザインが気に入っていたので、それと似たものを選ぶことにした。
レンズをブルーライトカットにしたかったので値段はプラス¥5,500になる。
私は¥5,000の紫色っぽいフレームにほぼ決めてから、一応、さっきの店員さんに、
「これ、どう思います?」
と聞いてみた。
以前も、同じ系列の店で、若い女性の店員さんと、似合うとか似合わないとか言い合って決めたので、何かそういうやりとりがしたかった。
ほんとうに迷っているとき、私は店員さんの意見を聞いて、それに従うことにしている。プロの判断を尊重したいと思っているのだ。
彼は近くにやってきて、
「どれかと迷ってますか?」
と聞いた。
このときはすでに心を決めていたが、とっさに、さっきまで迷っていた、ごく軽くて最新型デザインのもの(¥8,800)を指さすと、彼は、その高いほうのメガネがどれほど優秀であるかを説明してくれた。かけた感じが前のメガネにより近い、とも言った。
そしてまたタイミングを見計らって静かに私から離れていった。
私は一瞬考えたけれど、やっぱり¥5,000のフレームに決めた。
ここで店員の気持ちをおもんばかるのもおかしなことだし、なにより価格の差がもったいない気持ちが解消されなかった。
30分後に取りに行くと、今度は違う男性の店員がカウンターにいた。彼は私の顔を見ると、
「あっ、さっきのメガネですよね」
と言った。
彼もずっと店内にいて、私がメガネを選ぶ様子を見ていたようだった。
この店員は愛想がよかった。経験値、というより人柄がいい感じで、おばさんとも話を弾ませられるコミュニケーション能力が高かった。
彼は完成したメガネのサイズを調整してから、私の検査データを見て、遠視がありますね、と言った。
私が、そんなことを言われたのは初めてです、と不思議そうにすると、遠視について丁寧に説明してくれた。
それから私は彼にいくつかの質問をして、彼はすべての問いに満足のいく回答をくれた。
そうして私は、結果的に、とてもいい気分で店をあとにしたのだった。
帰り道で、
「これ、どう思います?」
と巻き毛の店員に尋ねたことを思い返した。
もし客がそう尋ねてきたら、私なら、
「とてもお似合いです」
と応えるだろう。たとえウソでも。
それから…。
買うのがはっきりしている客なのである。親身になって説明したり、自信のある製品を勧めたり、買ってもらいたいモノがあれば紹介したり、と、いくらでも方法を思いつく。
これはまあ、自分の性格がわかっているということもあるだろう。でも何かとても惜しい気がした。
新しいメガネはとてもよく見える。
値段の安いほうを選んだことも気に入っている。
これからの数年をともに過ごしていくパートナーとして、すごくいい感じである。
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買い物ノート
牛乳の賞味期限が切れたとき、卵が残り一個になったとき、または洗濯機用の洗剤がきれかけているのに気づいたとき、その他いろんな生活必需品がなくなったとき、次に買い物に行ったときに買わなくては、と考える(誰だってそうだと思うけど)。
頭の中にメモをして、たいていそれで問題なく補充ができていたけれど、ときどき買い忘れることがある。
それで買い物が多いときは紙に書き出すようにしていた。
これはチラシの裏や、そのとき目に付いたいらない紙を使っていた。
ところが、その紙を持って出るのを忘れることがあるのだった。
これは同年代以上の友人達の間ではよくあることで、
「買い物メモを書いたのに、そのメモを忘れちゃうのよねー」
というテッパンの失敗話になっている。
先日も何人かでそんなことを話していたら、ひとりの人が、
「だから、私はメモではなくて、買い物ノートを作ってるの。これはよく目につくし、いつもカバンに入れてるから忘れることもないのよ」
と言ったのだった。
わたしは、
「なるほど!」
と手を打った。
ほんとにそのとおりだな、と思った。
わたしは時折、そんなふうに人の考えにひどく納得することがある。
この時も、自分のなかに何かがストンとはまるように感じたのだった。
それで早速、実践することにした。
もともと”ノート”というものが好きなのである。
わたしはその数日前に、百円ショップですごくきれいなノートをみつけたばかりだった。B5サイズの薄いノートで、シンプルなものだけれど、表紙にセンスのいい(わたし好みということ)柄の紙を使っている。
ひと目で気に入ったが、使う目的がないので結局買わなかった。
それを思い出して、あれを買い物ノートにしたらいいんじゃないか、と考えた。
しかし、そのためだけに百円ショップに行くのもめんどくさい。でも買い物ノートはすぐに作りたいし、と考えを巡らせているとき、
「そうだ。家になんかいいノートがあるのでは」
と思いついた。
昔からノート類が好きなので、意味も無く買って、使っていないものがあるはずだった。
数日前の百円ショップで思いとどまったのはどちらかというと稀なことだったのだ。
わたしは家の中の、そういうノートがありそうな引き出しをあけてみた。
すると、あけた瞬間に目に飛び込んできたものがあった。
それは、茶色っぽい表紙に、竹久夢二の野いちごの絵が描いてある、新書版サイズのノートだった。
何年も前に岡山の夢二美術館で買ったものだ。
買った時のことを思い出した。とても気に入って、何か、生活の中で思いついたことを書こう、と思った。そして長い間使わないままなおしていたのだった。
それが求めていたのにピッタリだと、一目でわかった。
一瞬で、探していたものが見つかるなんて、すごいことだな、と驚いた。
その日以来、わたしはこのノートに買い物リストを書いて、必ずカバンに入れている。
罫線のないページに、日付けを書き、買う物を書く。書かない日もある。
新しいカーテンを縫うために計った窓のサイズなども書いておく。
やらなければいけない仕事や、何かの支払い金額、締めきりなどもつけている。
近頃、このノートがとても気に入っている。
なんでも書きたくなる。
まるで”生活ノート”か、簡単な日記帳のようだ。
でも、そのときどきの感情など、湿っぽいことは書きたくないと思っている。
淡々としていて乾いた印象のノートであって欲しいと願っているのだった。