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春休みの憂鬱

 子どもの頃、3月があまり好きではなかった。
 特に春休みである。
 春休みというのは何もすることがなく、どうやって過ごしたらいいのかわからなかった。
 とても宙ぶらりんで、もあーっとした空気と不安に支配されていて、身体にも心にも緊張感がなく、緩んでいて、なのに何かに焦っている感覚があった。
 3月は自分の誕生日がある特別な月なのに、一年の中で一番ついていない月のように感じていた。
 
 私が育った家の玄関は、家業である鉄工所の出入り口を兼ねていた。
 両親がそこで働いていたので、家を出るときは理由を言わなくてはいけなかった。気の向くまま、自分の判断で出かけることはできなかった。
 友達との約束や、習い事などの正当な理由が必要だった。
 それが無い限り、家の中にいなければいけなかった。
 でも家の中にいても何もすることがないのだった。
 機械の音が鳴り響いているのでテレビは観られなかった。音楽も聴けない。
 本は家に数冊しかなく、読み尽くした本を繰り返し読んでいた。五歳上の姉が学校で借りてくる本をむさぼるように読んでいた。
 活字に飢えていたので、新聞も隅々まで読んでいたし、広告や暦なども読んでいた。知らない漢字は意味を想像して読んでいた。
 あの頃、近くに図書館があったら、どんなに良かっただろう。
 あるいは、一緒に遊ぶ親友のような友達(ちびまる子ちゃんにとってのたまちゃん、じゃりン子チエにとってのヒラメちゃんのような)がいたら、私の子ども時代はどんなに豊かだったろう、と思う。
 
 築百年ほどもたっている古い家は、天井や柱が黒く塗り込められていた。
 黒い家のなかで、無限にある時間を有効に使えないもどかしさをいつも感じていた。
 そのせいか、大人になって、時間が自由に使えるようになった今、私は自分のやりたいことに対してとてもせっかちになってしまう。
 あれもしよう、これもしよう、と思って、その準備を早め早めに整えては放置してしまう。
 私は昨年の5月に台所を自力でリフォームしたのだけれど、塗料やリメイクシートはその半年以上前に買い揃えていた。
 読もうと思って図書館から借りた本を、読まないまま貸し出し延長し、それでも読まないまま返すことは日常茶飯事だ。
 今は、2か月ほど前に実家の物置から持ち帰った八端判(59×63㎝)の大きな座布団が五枚、居間に積み上げたままになっている。
 この座布団は絹100パーセントの表地に艶があり、きらびやかな柄がついていてなんだかスゴい迫力である。
 これにカバーを縫うために、小鳥の柄の生地とファスナーをユザワヤの通販で買った。そして放置したままになっている。
 
 今の私はやりたいことが一杯で時間が足りないことに憂鬱を感じている。
 やりたいことがあり過ぎる。読みたい本があり過ぎる。観たい映画もあり過ぎる。行きたい場所も、考えたいことも、描きたい絵も、作りたい料理もいっぱいある。
 それでも全部自分でやることを決めて、気持ちの向かうままに行動できる分だけ、子どものときより今の方がずっといいなと思っている。

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