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なないろえんどう

 父が生きていた頃、毎年、必ず畑にえんどう豆を育てていた。
 春になると白いスイトピーのような花が咲き、鈴なりの実がなる。
 黄緑色の壁に囲まれて、植物の濃い呼吸を感じながら、子どもの私は背伸びをして、毎日、収穫した。
 羽曳野市碓井(うすい)地域が原産の”うすいえんどう”という品種だったと思う。
 収穫したうすいえんどうは持ち帰って皮を剥き、実を取り出す。
 皮は縦に入った線の部分でパカッと割れる。
 なかには7,8個の豆粒が行儀良く並んでいる。まるで奇跡のように。
 それを親指の腹でザーッと取り出す。
 一回の収穫でボールが一杯になり、それらは出汁で煮られて卵とじにされ、その日の晩ご飯のおかずになるのだった。
 私はこの仕事が好きだった。
 ボールにたまった豆はほんのり水分を纏っていて、無垢で、美しかった。
 自然の清らかさを感じて、触れるのが畏れ多いような気がしたものだった。
 
 大人になってから、進路に迷う高校生の少女を主人公にして、「なないろえんどう豆」という小説を書いた。
 私にとってえんどう豆はどこへでも繋がる空へと開かれた未来のイメージだった。
 それを書いてから20年ほどもたって、桜の季節に手作りグループで作品の展示販売会をすることになったとき、その会の名前を”なないろえんどう”と名付けることにした。(私の提案があっさりと通った)
 トンボ玉やパッチワーク、染色、トールペイント、木工など、それぞれの創作品を持ち寄るメンバーがちょうど7人だったので、この名前を思いついたのだった。
 40~80代のメンバーだけれど、その活動には未来が感じられた。
 
 その会は10年以上も続いている。
 与謝野晶子ゆかりの堺市ななまちの雛人形巡りウォークに合わせての開催で、今年も3月から始まって4月の第一日曜で最終日を迎えた。
 案内のハガキを送ると、懐かしい友達が会場に顔を見せてくれたりする。
 毎年訪ねてくれる心優しい人達もいる。
 来てくれた人達と一緒にお茶を飲みながら話す時間は何にも代え難く、感謝の思いばかりが心に満ちる。
 仲間とのふれ合いも楽しい。
 
 ”なないろえんどう”という看板を見るたびに、私は子どもの頃のえんどう豆の手触りを思い出している。
 無垢で清らかなもの。人との出会い、縁、の有り難さ。
 最終日に看板をはずして、私の春のたいせつなイベントが終わった。
 次は来年の春。

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