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自分で決めていいこと

 早い早いとは聞いていたが、実際はそれほどでもないだろう、と思っていたらやっぱり早かった。というのが今の気持ちである。この1年の時間の過ぎていくスピード、特に11月12月があっという間だったように感じる。
 今年も残りあと2日となった。12月に入ってひいた胃腸の風邪と闘いながら絶対に休めない仕事をすべて終えた。今は体調も良くなって暮れの大掃除と新年の準備に集中しているところである。
 
 今年最後のゴミ収集日に向けて家のなかの不用品をかなり思い切って捨てていった。長い間着ていない洋服や本、書類などである。どんどん捨てているとそれが快感になってきて自分がそういうモードに入っていることがわかる。
 家の二階にあるクローゼットの一番上の棚に「厚美 手紙」とマジックで書かれた段ボール箱が載っていることは知っていたけれど、これは30年以上あけたことがなかった。
 30年も自分にとって必要なかった物がこの先必要になることがあるだろうか、と考えてこの中身も処分しようと思いたった。
 踏み台に乗って降ろした古いみかん箱はずっしりと重く、変色して崩れそうになっていた。

 中には昔の手紙や年賀状などが入っていた。私が結婚するまでに受け取ったものである。ザーッとゴミ袋に入れるつもりだったが、重いのでいくつかに分けることにした。紙袋をみっつ用意して少しずつ入れていった。
 古い手紙はなんだか気恥ずかしくて読まずに捨てようと思っていたけれどふと目に留まる何通かがあり、結局、封筒から出してみることになった。肉眼では読めないのでわざわざ階下に老眼鏡を取りに行くことになってしまった。
 
 高校時代の同級生で、お父さんが亡くなってお母さんの故郷である長崎県の五島へ転校していった男子生徒がいた。彼は引っ越し先の生活に馴染めない様子を便せん5枚にぎっしりと綴っていた。  
 私の頭のなかにこの手紙を受け取ったときのことが鮮やかに蘇ってきた。彼が防衛大学に進学したということだけは聞いたおぼえがあるが、今はどうしているのだろうか。
 その他に小学校と中学校卒業時に友達に1ページずつ書いてもらったサイン帳があった。中学時代に憧れていたバレー部の上級生の写真や、高校時代につきあっていた人の写真、大学生の頃に親しくしていたテント芝居の役者さんたちの写真もあった。
 結婚したばかりの頃はまだそういう物を強くひきずっていたことがわかった。30年以上の年月が流れて、あの頃の自分とは細胞が入れ替わってしまって、今は同じ私ではない。
 しかしすっかりその存在を忘れ去っていても、「うわぁ、これは捨てられないな」という強い実感があった。
 
 一番下には蓋つきの木箱が入っていた。この箱が重かったのである。これにも見覚えがあった。
 中を開けてみると、大学の合格通知が入っていた。中学高校の生徒手帳もあった。それから予備校時代の添削指導の答案がすべて残してあった。
 予備校では2教科の添削指導がカリキュラムに組み込まれていた。私は苦手な英語は一番基礎のコースを、得意の国語は一番難しいコースを選んでいた。これは辞書を使ったり図書館で調べたりして提出していたのでいつも満点に近い点数で順位も高く、とても自分の励みになっていたのだった。
 順位発表の際は名前のあとに出身高校が提示され、特に進学校でもなかった私の高校が名だたる有名校の上に載っているのがとりわけうれしかった。そんなこともあってむきになってやっていたので添削指導では年間の優秀賞となりラジオをもらったことを覚えている。
 
 崩れかけの古い段ボール箱から、ふいにそんな自分が出てきたのである。
 これを後に残しても何にもならないことはわかっているが、どうしても捨てられないものだけをその木箱に入れてとっておくことにした。
 別に誰にとがめられることもない、それは自分で決めていいことだから、と思うと爽快な気分になった。

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