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葛飾応為作 「吉原格子先之図」

 阿倍野ハルカス美術館で、少し前まで葛飾北斎展が開催されていた。この展覧会に北斎の娘お栄の描いた「吉原格子先之図」(よしわらこうしさきのず)が展示されると知り、始まってすぐに足をはこんだのだったが、なんと展示は前期後期で一部入れ替えがあって目的の絵は後期にならないと見られないということを私は入場してから知ったのだった。
 
 会場は物凄い混みようで、チケットを持っていても入場まで1時間近く並ばなければならず中に入っても混雑ぶりは変わらなかった。こんな窮屈な状態で芸術作品を鑑賞するのはつらいものである。それでもお栄の生の絵が見たいという一心で耐えたというのに、残念でたまらなかった。
 
 北斎とお栄を主人公にした杉浦日向子の漫画「百日紅」は1985年発行だから、もう30年以上前になる。私はこれを今も非常に優れた上質な作品だと思っており、物凄く大好きなので死ぬまで自分の本棚に置いておくと決めている。
「ふとした出来心で、北斎にちょっかいを出してしまいましたが、手の上でころがすには、このジイさん、大きすぎ、像を一本背負いするような愚挙だったと、苦笑しています」
と、杉浦日向子は第一巻の前書きで述べている。
 変わり者だけれど天才的な腕を持つこのジイさんと暮らすお栄は、アゴとかばけ十(不美人を人間3分ばけ物7分と言うが、人間の部分がなくばけ物十分という意味)と父から呼ばれている。幡随院長兵衛のような女、という喩えも出てくるからかなりの個性派には違いないが、絵師としての鋭い感性と才能を父親から受け継いでいるのだった。
 居候の善次郎(ヘタ善)、他流派ながら北斎を慕う歌川国直、兄弟子の初五郎、その他に、女弟子や版元、母親や弟、花魁たちなどなどさまざまな人物が登場する短編が積み重なって江戸の空気感を醸し出している。
 
 善次郎は絵がヘタだが枕絵だけは妙に色気がある。しかしお栄の春画は、人は描けているが艶めかしいところがない。版元からそう言われてお栄が男娼屋に行く話がある。初五郎に淡い恋心を抱いてはいるがおんな性のない自分にお栄は悩むのである。豪快でいて繊細。開き直っていながら真面目。刹那的なようにみえて絵師として高い芸術性を目指し続けている。
 私にとっての「百日紅」は、善次郎と国直とお栄の青春群像というイメージが強い。
 
 お栄が葛飾応為という名前で絵師として認められていることを知ったのは数年前のことだった。アニメーション映画となった「百日紅」を見た映画館の売店で、「葛飾応為」について書かれた本を手にしたのがきっかけである。
 夢半ばのせつない日々のまま止まっていたお栄の時間が私の中で動き出した瞬間だった。
 その彼女の代表作である「吉原格子先之図」は格子の向こうの明るい座敷に並ぶ花魁たちと、格子のこちら側の暗い道を行き交う人々が描かれている。
 作者の名はないが、人物が持つ提灯に栄の字が書かれていることでお栄の作と認定されたという。
 
 やはりこの絵がどうしても見たいと思い、私は再度ハルカス美術館を訪ねた。少しは空いているかと思って夕方に行ってみたが整理券を配布されてすぐには入れなかった。
 しかし念願はかなった。
 私はお栄が描いた絵と対面することができたのだった。
 この絵は光の描き方がレンブラントのようだと称されている。立派な絵師となった彼女の生きざまをそこに感じ取れたような思いがした。
 
 ヘタ善と言われた池田善次郎はのちの渓斎英泉だと「百日紅」のなかに記述がある。
しかしお栄が葛飾応為になるとはどこにも書かれていない。
 北斎が「おーい」と呼んだことからついた画号だという。
 もっと早くに知っていたかったという口惜しさはあるけれど、今はお栄のその他の作品を見る機会を心から願っている。

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花設計士

「吉原格子先之図」いいですね。数年前、安曇野へ行ったとき、小布施の「岩松寺」でお栄も手伝ったという「大鳳凰絵」を観てきました。鮮やかな色使いはお栄という説もありますね。
by 花設計士 (2017-12-04 00:53) 

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