爪
子どもの頃、爪を噛む癖があった。
大人になって、やりたいことややらなければいけないことがいっぱいできてくると、爪を噛んでいる暇はなくなった。けれど、爪切りを使うことに慣れていないので、つい伸び放題になってしまってあるときそれが折れてしまう、というようなことを繰り返している。手入れの仕方もよくわからない。爪の先がギザギザになっていることも多いけれど、あまり気にしないでいた。
最近、仕事でよく行く郵便局の窓口にいる若い女性が、いつも爪にマニュキアを塗っているのを目にして、そんな私も自分の爪に注意を払うようになった。
彼女の手を見るたびに、爪に目がいって、きれいだな、と思うのだった。
彼女は身だしなみを整えるのと同じ感覚で爪にも色をつけているようだった。
窓口でお金をさわる仕事なので、客の視線は彼女の手に注がれる。
私のほうは素のままで特に整えてもいない爪である。
武装しているような彼女の爪に対して、自分は丸腰という感じがしたのだった。あっさり負けている。彼女の爪の前に自分の手は出せない気がした。
今までは、夏になって裸足にサンダルを履くようになったときだけ、足の爪にマニュキアを塗っていた。
これははっきりとした色を選ぶようにしていた。何も塗らなかったら素の自分を外部に晒しているような感覚があったからだ。
化粧をするのに似ている。そうだ。ネイルケアというのは化粧の一部ということなのだ、と思い至った。
化粧と同じように精神的な自己防衛の手段なのである。
それで私も手の指の爪にマニュキアを塗ってみることにした。
売り場に行くといろんな色が並んでいる。
透明なものや、肌色に近いものもあったけれど、郵便局の彼女の真似をして、少し落ち着いた色のマットなピンクを買ってみた。
せっかちなので、1分で乾くという速乾性のにした。
爪の形を整えて塗ってみると、確かに化粧をしたような印象になった。
それで以前に読んだあるエッセイを思い出した。
ある女性作家の文章だったと思う。
普段着ですっぴんで髪などもボサボサのまま、近所に出かけるとき、自分が爪だけはきれいにしていると、それが心の支えになるときがある、というのだった。
他は何にも気を遣っていないけれど、わたしは爪だけはきちんとしている、と思うと堂々としていられる、というのである。
そんなものか、とその時は思ったけれど、逆に考えれば、正装してきれいに化粧をしていても、爪を塗っていなければきちんとしていない、ということになる。完璧じゃない。スキがあるということだ。
マニュキアを塗ると、爪が分厚くなった感じがした。硬く、しっかりとした感覚である。
それで今度は、爪が人間の武器であり道具なのだということを思い出したのだった。確かに、〝爪を研ぐ〟というのは戦闘準備をしているという意味で使われる。
ただ、家事をしていると、すぐにマニュキアは先のほうからはがれてくる。こうなると見るたびにがっくりする。見苦しい。きちんとしていない自分、雑な自分を思い知らされるようだ。
透明のトップコートというのを重ね塗りするとはがれにくくなるのだけれど、そうするとなんとなく皮膚呼吸ができていない気がする。
こんなふうにああだこうだと考えた結果、私は気が向いたときだけ爪に色を塗ることにした。もともと気持ちと時間に余裕のあるときしかそういう気持ちにならないのだ。そして塗ったとしたらそれを維持する努力をする。無理なら潔くリムーバーで落とす。
今まで気にせずやってきたのだし、自己満足感を得るためだけの理由で、好きにしよう、と思った。
それで今現在、私はすっぴんの爪をしている。
でもその素直過ぎるような無垢な爪を見ていると、このまま世間に晒していいのかとまた心が揺れる。
堂々巡りが始まるのだった。
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