〝君たちはどう生きるか〟
〝君たちはどう生きるか〟は、スタジオジブリ、宮崎駿監督の最新作である。
なんの事前知識も先入観もなくこの映画を観たのだけれど、その感覚がとても新鮮だった。
私は彼の作品をほぼすべて観ている。今まではあふれるほどの情報を背負ってそれらを観てきた。
今回はパンフレットの販売もないし、表記もないので、誰がどの声を担当していたのかもわからない。
帰宅後に検索して誰かの予想(おおかたその通りなのだろう)を読んで、ああ、そうだったのか、と驚くばかりだった。
私がわかったのは、父親役の木村拓哉さんだけだった。アオサギの声はイッセー尾形さんが頭に浮かんでいたけれど、まったく違っていた。実際は菅田将暉さんだった。
宮崎監督は2013年9月に、引退宣言をしている。そしてそれを3年後に撤回してこの映画を作り始めた。スタジオジブリの単独出資であるため、この作品は広告主などのしがらみがまったくない状態で作られたのである。
私はその頃から題名だけは耳にしていて、あまりいい印象は持っていなかった。なんだかお説教くさい感じがしていたのだった。
「君たちはどう生きるか」は1937年に出版された吉野源三郎の小説の題名である。
監督は少年時代にこの本を読んだという。この本は映画の中に登場するが、内容は映画とは関係がない。映画はまったくのオリジナル作品である。
ただ、観終わった後で考えてみると、この題名がすごくいいということではないが、他にピッタリはまるものが思いつかない。
宮崎監督は1941年生まれだというから、今年82歳である。75歳から82歳までの7年をかけてこの映画を作ったことになる。それは人の一生においてとても大切な7年間である。おそらく彼が全力を尽くせる最後の作品になるだろう。
どんな芸術作品でもそうだけれど、評価は人によって変わる。感じ取るものは人それぞれ違う。どのように批評することもできる。
私が感じたのは、宮崎監督の想像力、イメージの構築力、そして底力のようなものである。もっともっと細部にいたるまで気を配れたのでは、という感じもするが、圧倒的な力量であることにまちがいはないと私は思う。心に地響きがするような感動があった。
象徴、暗喩、仮託、といったことの分析は詳しい人に任せたい。
監督の想像力が作り上げた世界にどっぷりとはまり込みながら、私の印象に残ったのは、海でキリコと大きな魚を捕って帰った港で、主人公が亡霊のような人間たちのひとりに礼をして、相手も礼をする、という場面である。
うまく説明はつかないけれど、人が頭を下げ合う姿にハッとした。
観ていない人にはわからないことを承知で書くが、
好きな登場人物は若き日のキリコと、主人公の母(少女の姿で登場する)である。
今年の夏も仕事に追われている。
お盆の前後の10日間以上は、家族のことで手一杯になり、自分の時間は持てないことが予想される。
この映画をあと数回観て確認したいこともあるけれど、すぐには叶わないだろう。
そのうち情報も開示されるだろうし、テレビ放映されるときもくるだろう。
今はただ、自分の受け取ったものを焦らずにじっくりと考え続けていくだけである。
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