木工のOさん
古い街並みが残る、与謝野晶子ゆかりの大阪府堺市綾ノ町〝ななまち〟では、3月から4月初めまでそれぞれの旧家のおひな様が展示される。
〝ひなめぐり〟として知る人ぞ知るウオーキングコースになっているのだが、この期間中、土日と祝日に、私は手作りの仲間と一緒に、その休憩所にあたる場所で自作のトールペイント作品を展示販売している。これはもう10年以上続いていて、私にとって春先の大きなイベントとなっている。
以前は、和布細工やドライフラワーを作る人たちも一緒だったが、今は、染色、トンボ玉とクレージーキルト、木工、そして私の4人がメンバーである。
毎回2人以上が店番をするので、いつも誰かと一緒にお弁当を食べたり、お茶を飲んで話しながら時間を過ごすことになる。お客さんが集中すると忙しいけれど、それ以外は、街道沿いの日当たりの良い館内でゆったりと時間を過ごしている。
その仲間の一人である木工のOさんは、80歳を過ぎているが、とても溌剌とした人で、毎回、大阪南部の富田林から1時間近くかけて車でやってくる。
数年前に連れ合いを亡くして一人暮らしをしている。彼は畑で育てた野菜を料理してお弁当を作って持ってくるのだった。
定年退職後に自宅のガレージで作り始めた木工作品を、各地の手作り展で販売するようになり、今では作品がふるさと納税の返礼品に選ばれるまでになって、一年中忙しくしている。Oさんは、イベントへの出展、というのに慣れている、というのかコツを掴んでいる様子である。私達以外のいくつかのグループにも属しているのは、人付き合いが上手ということもあるだろう。
技術があるだけでは、誰でも彼のようにうまくやれるとは限らないと思う。
Oさんはお湯の入った水筒と、紙コップ、インスタントの味噌汁や珈琲をいつも準備していて、私にも分けてくれる。私はコンビニでおにぎりやパンを買っていく。お味噌汁用の割り箸がない、と言うと、それもどこかから取り出して、ほら、と私の前に置いてくれるのだ。
Oさんが作っているものは木製の額や、スマホスタンド、マスクケース、まな板、ボタン、箸置きやおもちゃなど多岐にわたっている。仕上げの美しさとスッキリとしたデザインが特徴だ。なかでも一番の売れ筋商品は檜のお箸である。
子ども、女性、男性用、取り箸と4種類の長さがあり、どれも先が細くてとても使いやすいのだ。私も毎日使っている。
Oさんはいつも展示会場の片隅でこのお箸を削る作業をしており、お客さんが来ると愛想良く話しかけて、削りたてのお箸の匂いを嗅いでもらうのである。
私達が〝匂い嗅がし作戦〟と呼んでいるこの作戦の効果は絶大で、檜の良い匂いにつられてほとんどの人がOさんのお箸を購入するのだった。
私は年賀状のやり取りをしている古い友人に作品展の案内ハガキを送ったり、知り合いに声をかけて会場に来てもらう。お茶とお菓子のサービスがあるので声をかけやすく、めったに会えない人に会える得がたい機会になっている。
そういう人達は、来たからには何かひとつくらいは、と義理と好意で私が描いたものを買ってくれる。まったく知らない人にお箸が売れるOさんとは違う。ほぼご縁に頼っている私はだから1年に1回しか出展していないのだ。(作品作りに時間がとれない、ということもある。一応)
”トールペイント”というのは木製品などにアクリル絵の具で絵を描くもので、ヨーロッパで農機具に絵をつけたのが始まりだと言われている。
玄関先に架けるウエルカムボードや、ティッシュペーパーボックス、レターラック、小物入れなどが主な材料となる。他に植木鉢やエコバッグに描いたりもする。
正式な素材として販売されている物はどうしても高価になるので、できるだけ材料を安く手に入れることが重要で、私は日頃からそういう物を探す癖がついている。
私の売れ筋商品はマグネット(冷蔵庫の扉にメモなどを付けるのに使う)で、これはひとつ300円で売っている。昨年までは安価な材料が手に入っていたが、今年はそれが売っておらず、他でも見つけることができなかった。
そんな話をしていたら、Oさんが直径4センチくらいの丸い木を輪切りにしてたくさん持って来てくれた。
私はそれにボンドでマグネットを貼り付け、薄いグリーンに塗って、ミモザの花や小鳥の絵を描いて仕上げた。
同じくらいの大きさでハート型の木にフックを付けた〝輪ゴムかけ〟も欲しい、と言うと、これはかなりの工夫をしてくれたようだったが、またもや作って持って来てくれた。
その他に、私は自宅の表札(郵便受けに貼り付けているので微妙な大きさなのだ)用の板など、自分が欲しかったサイズの板を数枚切ってもらいたいと頼んだ。
Oさんは「よっしゃ」と引き受けてくれて、翌日には私の望み通りのものを持って来てくれた。
私は、代金を、
「請求してくださいね」
とOさんに言っていた。最終日にまとめて払うつもりでいたのだった。
けれど、もしかしたら、お金を受け取ってくれないのではないか、という気がしていたので、一応、小瓶のお酒とそのお供になるような食べ物を準備しておいた。千円程度のものである。
そして最終日に、
「いくら払ったらいいですか?」
と聞いてみると、Oさんは、
「いくらでもええわ」
と言う。
「思うだけ払ってくれたらええわ」
と言うばかりである。
それで私は封筒に3千円を入れて、お酒と一緒に渡した。
そのとき、Oさんと目が合った。
ニコニコと笑っていたOさんが一瞬、真顔になったように見えた。
けれど彼の表情から、気持ちを読み取ることはできなかった。
その後で、強い後悔が私の胸に湧き上がってきた。
Oさんの好意と、技術に対して、自分が金額をつけたことに対する後悔だった。 取り返しのつかないことをしてしまったのではないか、という思いが暗雲のように垂れ込めてきて、心が真っ暗になった。
こういう場合、お互いが多すぎると思えるほどの金額を渡す、というのが正解ではなかったか、という気がした。
損得などどうでもよいのだった。感謝の気持ちを表現しなければいけなかったのに。
最終日の閉店後は搬出作業と精算でバタバタとする。
代金のことをもう一度切り出すのも気がひけた。
忙しく動き回っている間にお別れのときはやってきた。
次にOさんに会えるのは一年後である。
私の心はまだもやもやとしているけれど。
Oさん、どうか元気で。
また会えますよう。
そう祈るしかない。