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コロナ感染

 八月のお盆が終わり、二人の子どもを連れて帰省していた娘が帰り支度をしていた頃だった。私は夕食に皿うどんを作ろうと、台所で野菜を切っていた。
 少し頭がふらつくような、なんだかいつもと違う、しんどい感じがあって、熱を測ってみると38,5℃という数字が出た。”あっ”と思った。朝から喉に違和感もあったのだった。
 連日、大阪府で2万人以上の感染者が出ていたときだった。
 その日の朝から1歳8ヶ月の孫が熱を出していて、ちょうど病院に行っていたが、家族にコロナ患者がいないなら、ただの風邪だろう、と診断されて帰ってきた。
 私は翌日受診し、PCR検査を受けて、陽性という結果だった。その子も検査をして陽性だった。
 その夜、娘と5歳の孫と、私の夫が発熱し、翌日、全員の陽性が判明した。
 
 コロナは2019年12月に、中国武漢市で一例目の感染者が報告され、翌年1月に、日本で初めての感染が確認された。それから2年半以上がたつ。
 最初はとても怖くて、恐れながら、暗鬱な気分で日々を送っていたことを思い出す。
 私はたくさんの楽しい予定をキャンセルして外出を自粛した。みんなそうだったと思う。いつも不安だった。手洗い、うがい、消毒と、できる限りの対策を実行してきたつもりだった。
 そうして今までなんとか免れてきたというのに、コロナは少しずつ近寄ってきて、とうとう私と家族の中に入ってきたのだった。
 
 家族が次々と高熱を出していく様子は今思い出してもゾッとする。私達はワクチン接種を3回済ませていたのでそのおかげもあってか、高熱と喉の痛みは3日で収まった。
 その後はひたすら家にこもる生活だった。幼い子ども達は症状が早く収まったので、外に出られず可哀想だった。それでもなんとか規定の療養期間を終えて、日常に復帰した。娘家族も自分たちの家へ帰っていった。
 
 そうやって普通の生活にもどったのだけれど、私はなんとなく倦怠感が続いて、何をしてもすぐに疲れてしまうのだった。100%の回復感というのはずっと得られなかった。
 夫は胃腸の不調が続いていた。二人ともコロナの後遺症のようだった。
 調べてみると、他にも、味覚嗅覚の乱れや、皮膚病、脱毛など、後遺症の症状はさまざまなようだ。やはりこわい病気だな、とあとになってしみじみと実感した。
 
 2ヶ月以上がたって、私はなんとか後遺症を脱して絶好調感をとりもどした。前向きな気持ちになり、がんばりが効くようになったのだった。
 不調に悩んでいた時期に、何か対策を、と思ってピラティスという運動の教室に通い始めた。これがとても良かったので、もう少し身体を動かしたくなり、先日、かなり思い切って、大人のスイミングスクールに申し込んだ。
 私は子どもの頃から水泳が苦手で、特に息継ぎができず、25メートルを泳げたことは一度もない。それでいつかは泳げるようになりたいと考えていたのだった。
 
 12月から、私はクロール初級コースに週に一度通うことになった。
 そういう気持ちになったのは、コロナ感染のおかげ、と言えるかもしれない。

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