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ルービックキューブ(1)

 ルービックキューブを買ったのは突然のことだった。

 六つの面を持つ立方体で、辺の長さは5.5センチ。両手にすっぽりと収まるサイズで、一面が九個の正方形に分割されている。緑、赤、青、黄、白、オレンジの色がついていて、面ごとに回転させて色を揃えていくという立体パズルだ。エルノー・ルービックというハンガリーの建築家が考案したという。買い物帰りに立ち寄った百円均一の店でみつけて、「もはや百円なのね」と驚きながら手に取ったのだった。

 高校生の頃、クラスメイトの男子が学校に持って来て、その周りに人だかりができていたのを覚えている。わたしはその時に初めてルービックキューブという物を見た。当時は高価だったはず。遠巻きに眺めながら、気になってはいたけれど、自分には縁のない物、だと思っていた。叶わないとわかっている恋の相手のように。ただ、今まで五十年以上生きてきたなかで、わたしはそれを数回手にしたことがある。何かの順番が回ってきたように、それはめぐりめぐってこの手のひらの上にやってきた。そのたびに、ドキドキしながら触るのだけれど、毎回それを動かせば動かすほど、頭が深い森で迷子になったような、どうしようもない絶望感に襲われた。

 これほど何の展望もない動作が他にあっただろうか。わたしは見通しなくそれを動かしてぐちゃぐちゃにすることしかできなかった。まったくなんにもわからないのだ。なんの道しるべもない。六面の色をピッタリ揃えるなんて、そんな神業のようなこと、できるわけがない、自分には絶対に無理だという確信だけがあった。おそらく数学的で論理的で先を読むスキの無い能力なんかが必要なんじゃないか、と思う。そんな能力はわたしの中のどこにもない。自分のことなのでよく知っている。脳がそういう方向に動かないし、動かそうとしたこともない。

 この世界にはルービックキューブができる人とできない人がいて、わたしはできないほうの集合体にいるのだと思っていた。なのにその前で立ち止まってしまったのは、百円だし別に無駄になってもいいからちょっと触ってみたい、と思ったのと、少し前にテレビ番組の特技披露コーナーで、お笑い芸人の男性がルービックキューブの六面を揃えるところを見たのが大きな理由だった。彼は誰かが色をばらばらにしたルービックキューブを見た瞬間に素早く手を動かして数十秒でそれを完成させたのだった。わたしは目を見張ってしまった。まるで魔法のように、とても鮮やかだったのだ。

 じっくり考える、というふうではなかった。法則に則ってただ手を動かしているだけのように見えた。確信を持って動かしている。きっと何かコツがあるのだろう、と思った。彼はそれを知っていて、おそらく何度も繰り返して自然に手が動くくらいにまでその動作を身につけたのだろう。彼が知っていて、わたしが知らないことがある。それならもしわたしがそれを知ったら、わたしにもこのパズルが解けるのではないか、とそのときに思ったのだった。それなら一度でいいからやってみたい。

 わたしは売り場に立ったままスマホを開いて検索画面に「ルービックキューブ」と入力してみた。すると、「ルービックキューブの揃え方」という画像が山のように投稿されているのがわかった。〝誰でもできる〟と書いてある。〝小学生でもすぐできる〟〝超初心者向け〟〝簡単に1分を切れる〟などという言葉が並んでいる。そうなんだ、そういうものなんだ、そういう世の中なんだ、と思った。〝誰でも〟というのは、〝わたしでも〟ということのはず。そう心で大きく頷いて、わたしはルービックキューブを買うことに決めたのだった。

 家に帰って早速YouTubeを見てみた。「ルービックキューブというのは覚え芸なんです」と言う少年の画像を見つけて、とにかく彼の言う通りにやってみた。「左・上・右・下・上段を右に回転させて・右・上・左・下」というふうに。いくつもの動作を言われるままに繰り返した。そうすると、最後に本当に六面を揃えることができたのだった。あっけない完成だったけれど、すべてのキューブがあるべき場所に収まっている姿というのは至極美しいもので、わたしは〝やったわ〟と声に出して言っていた。

 彼の言葉はおまじないのようだった。意味も意図も理解できなかった。でもそれでも言われた通りに動かすとキューブが完成するのだった。わたしは彼の言葉を紙に書き写して、自分にだけわかるメモを作った。そしてそれを見ながら毎日ルービックキューブを完成させた。

 これはストレス解消に効果があったと思う。完成させるたびに気持ちがスッとしたのはまちがいなかった。ただ、彼のやり方を覚えるのは難しかった。覚え込んでそらでやることはできず、わたしはいつもメモを見ながらやっていたのだった。

 メモはいつもそばに置いていたけれど、次第に、引出しにしまうようになり、時折、思い出したようにやるだけになってしまった。常に手にとれる場所に置いていたキューブも本棚になおすようになった。わたしはたまにしかルービックキューブをやらないようになってしまったのだった。

 そうしているうちに、メモを見ても意味がわからなくなった。わたしはルービックキューブができなくなってしまった。そのときはそれでもいいか、と思った。そのうちメモも捨ててしまった。

 興味がなくなったのだった。

 コロナが流行するずっと前のことである。

 そしてこの話には続きがある。

 


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