トイレのリフォーム
子どもの頃、トイレに行くのがこわかった。
私が生まれ育ったのは古い農家造りの家で、南東の端にはみ出すようにしてトイレがあった。和式の汲み取り式だった。床は板が一枚張ってあるだけでいつか落ちるのではないかと不安だった。排泄物が溜まっているのもよく見えた。暗くて寂しくて、身を置いているのがつらい場所だった。これは大人になるまで変わらなかった。
結婚して住んだ家は、築20年ほどの中古の一戸建てで、トイレは和式の水洗だった。廊下の隅にあった。
当時のトイレはたいてい目立たない場所にあり、隠すべきものだったのだ。
その家で5年ほど暮らしてから夫の赴任先である他県に引っ越した。期間は2年と決まっていたから、その間に自宅のリフォームをしてもらった。
このときにトイレは洋式の水洗になった。
廊下をなくして一面のフローリングにしたので、トイレは居間の一部のようになった。
ここで育った子どもらは、トイレがこわいという感覚は抱かなかったと思う。
私の趣味で、壁にピーターラビットの絵を貼り、隅に花や人形を飾り、窓にはピーター柄のカーテンを掛けた。我が家のトイレはみんなから〝ピーター部屋〟と呼ばれていたのだった。
それから30年近くたった。私はトイレのタンク内の水音が気になり始めていたので、ちょうど給湯器の交換に来ていた顔見知りのガス屋さんに相談して、全面的にトイレのリフォームをしてもらうことになった。
ドアは内側に亀裂が入っていた。息子が思春期の頃に蹴ったものだった。
夫は換気扇の取り付けを希望していて、それ以外は私に任せてくれた。
私はクロスを腰板風にしたかった。
下半分を白い木目の板を張り付けたようにして、上はブルーグリーンの塗り壁のようにしたかった。
〝トイレのリフォーム おしゃれ〟で検索し、そういう写真をみつけたのだった。
「こういうふうにするのが夢だったんです」
と担当者の人に送信した。
フレンチカントリー風、という様式らしかった。
「じゃあ、なんとか夢を叶えましょう」
と彼は返事をくれた。
ちょうど一泊で出雲へ旅行に行く計画があったので、その間に工事をしてもらうことになった。工事中はトイレが使えないからである。
早朝に家を出て、翌日の夜遅くに帰宅すると、うちのトイレは私が選んだ写真とまったく同じように変わっていた。
いろんな業種の職人さんが力を発揮してくれたおかげだった。
古い板張りの汲み取り式トイレから始まって、60年後にここまで綺麗なトイレを私は手に入れることができたのだった。とても有り難く、幸せなことだと感じている。
最新式トイレにはセンサーが内蔵されていて、人が近づくと内部の消毒をしてくれるのだった。電化製品ですからね、と担当者から言われたときにちょっと不安になった。
その他にもいろいろと複雑な設定や仕組みあり、驚くことがたくさんあった。説明書を読み込んでもおそらくすべてを理解することは私には不可能だろうと、今の時点で確信している。
でも家の大切な一部として愛情を注ぎたいと願っていることだけはトイレにわかってほしいのだった。