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桜の季節

 桜の季節が終わろうとしている。
 今年は今まで生きてきたなかで一番というほどよくお花見をした。いつもすれ違っていただけの麗人と、友達になって会話を交わしたような興奮が胸に残っている。
 
 娘が赤ん坊を連れて一週間以上里帰りをしてきたのである。その時期がちょうど桜の開花と重なったのだった。普段は自転車で行くスーパーマーケットへも、ベビーカーを押してゆっくりと歩いて行った。途中に桜の並木があり、立ち止まって見上げると、青い空を背景にほんのりピンク色に染まった花が重なり合って咲いていた。
 清楚でありながら内に秘めているものがある。桜のこの美しさは人の心を救ってくれるように思える。
 
 ほとんど毎日、娘と孫を連れて散歩に出かけては桜の下で時間を過ごした。近所の奥さん友達を誘うこともあった。
 日曜日は絶好のお花見日和だったので、近くの公園へ、お弁当を持って家族全員で出かけることになった。
 マラソンコースがある大きな公園が人で溢れていた。みんなシートとお弁当を持って桜に逢いに来ているのだった。有料の植物園の中に入り、奥の方まで歩いて行くと木製のテーブルと椅子が空いていた。池を囲むように芝生があり、見事なしだれ桜を眺めながら私達は幸福な時間を過ごしたのだった。
 私は早起きしておにぎりやサンドイッチを作り、卵を焼き、きんぴらゴボウやウィンナーやからあげなどをお弁当箱に詰めたのだったが、その労苦は充分に報われたように感じた。
 
 十一ヶ月になった赤ん坊は、この日、両手を父母に引かれて初めて数歩歩いたのだった。昨年の今頃はまだこの世界にいなかった子である。それがこうして確実に成長して、目に見えないものさえも敏感に感じ取っているようだった。
 
 数日後、今度は父を連れて同じ場所を訪れた。姉と二人で交互に車椅子を押しながら、同じコースをたどって同じ芝生のテーブルの椅子に腰掛けた。この日も晴天で、しだれ桜は美しく咲いていた。このときは三人でお花見だんごを食べた。
 今は老人ホームに入所している父は若い頃から長く鉄工所をしていた。自動車1台にひとつだけ使うような小型の特殊ナットを切っていたのだった。
 私はその数日前に偶然にもナット型のチョコレートをみつけたので、それを見せると、父は指で掴んでしげしげと眺め、
「三分五厘くらいやな」
と言ってぱくりと食べた。
 この漢字で合っているのかはわからないが、それはナットの大きさの単位で私や姉も子どもの頃から聞き慣れている言葉だった。
「面取りはしてないね」
と私が言うと父も姉も笑った。
 ナットの穴の縁の角を取る「面取り」の作業はひとつずつ手動でしなければならず、その注文が来ると夜なべ仕事が続くことになる。
 ナット屋の親子でなければわからない会話だった。
 
 明るい日差しの下で父と姉が並んで座っている姿が私の目に焼きついた。
 今年の桜の季節のふたつの出来事である。

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花設計士

桜の語源はその美しさゆえに、神の依り代「サ・クラ」。
とてもすがすがしいエッセイだと思いました。
by 花設計士 (2018-04-14 22:30) 

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