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待つ

 人というのはいろんな状況におかれるものだなぁ、とつくづく思っている。
 このところ、もうずっと、私は待っているのである。何をかというと、里帰り出産のため実家に戻ってきている娘に陣痛が始まるのを、である。
 
 予定日はすでに一週間以上過ぎているというのに始まる気配もない。
 娘のやせた身体におなかだけがぽこんと前にせり出していて、触ると硬くてかっちりしている。ここに赤ん坊がいることは確かだけれど、見ていると、ほんとに出てくるのか、という気持ちになる。
「とにかく歩いてください」
と医師から言われたというので、毎日、散歩をしている。
 それでも効果は出ない。
「買い物のついでとかいうんじゃなくて、しっかりと歩いてください」
 次の検診でそう言われて、かなりの距離を歩いている。私もこれに付き合って一緒に歩いているのである。
 仕事以外の用事をすべてキャンセルして備えているので、私には時間がたっぷりとある。
 赤ちゃんが生まれたあとの準備も万端で、スタンバイ完了という状態である。
 何かをしようとしても手につかない。絵を描いたり本を読んだりもできない。急ぎの用事はすべて済ましてある。特にすることもなく、ただ身重の娘と時を過ごしているのである。
 
 ランニングコースのある大きな公園まで歩いていき、半周したところの藤棚の下のベンチに座る。空は快晴である。帰りに美味しいうどん屋さんに寄ろうか、などと話しながらぼんやりとする。娘を産んだときのことが思い出される。この子のときもなかなか陣痛が始まらず不安と焦りでつらい気持ちだった。
 だから私は胆を据えてただひたすらに待つ母親になっているのである。
 自分の置かれている立場が稀有なものだと感じながらも淡々と受け入れている。世の中の人はみんな、こんなふうに、とりたてて説明するとなかなかめずらしい状況で、さまざまな役割を、それぞれ平然とこなしているものなのだろう。
 
 合格か不合格かわからない知らせを待つのではない。来るか来ないかわからない人を待つのではない。叶うか叶わないかわからない願いではない。
 私の場合はただ必ず自然にやってくる瞬間を待っているのである。その瞬間に何があるにしてももう後戻りはできない。
 
 臨月の娘と並んで歩いていると、つい自分もおなかを突き出すような姿勢になっていることに気づいて苦笑するときがある。
 陣痛のことを考えると、自分もおなかが痛くなりそうである。
 想像妊娠というのがあるそうだから、想像陣痛、想像出産というのもありそうである。

 これもなかなか稀有な経験である。


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G3

ある中南米の仲間が ”Don't bite!" と言ってたけど、くれぐれもウサ子ちゃんには、ハガタは優しくあれかし。
by G3 (2017-04-27 07:55) 

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