SSブログ

毎日がハードル走

 日常というのはハードル走のようだな、と思うときがある。
 ひとつのハードルをぴょんと飛んだら、前方に次のハードルが見える。たどり着く間に準備を整えてそれも飛ぶ。高さはそれほどでもない。普通に飛べるハードルである。そうやって日々が流れていく。

 ひとりの休日で、何にも予定がなかったとしても、おなかが空いたらご飯を作らなければならない。冷蔵庫に牛乳が切れていたら買いに行かなければならない。
 作らなくちゃ、作らなくちゃ、とか、行かなくちゃ、行けなくちゃ、と思うところにハードルが出現しているのである。
 近くのコンビニに行くにしても、寝起きの服を着替えて顔を洗って戸締りの確認をしなければならない。そういえば何かの支払いがあったなと用紙を探しだしたり、ポストに入れる葉書きがあったりする。
 
 中学校のときの体育の先生が、ハードル走を専門にやっている人だった。それで何かの機会に先生がハードルを飛んでいるところを見たのだった。走るスピードをできるだけ落とさず、上体を低くしてその態勢を崩さないままで飛び続ける姿が目に焼き付いている。
 平常心で冷静に自分の脚をコントロールしているようだった。私だったら脚がもつれて気が動転して滅茶苦茶にしてしまいそうだと思った。
 
 先月末に娘が自宅に戻り、顔を上げて自分の前方を見てみると、いくつものハードルが非常に狭い間隔で並んでいることに気が付いた。しかも各地に行って何人もの人に会うのである。
 どれひとつとっても失敗して倒していいものはない。確実に飛び越えなけばならないものばかりである。そのためには綿密な準備も必要だった。
 
 仕事の合間を縫って、神戸で用事を済ませてそのまま四国の徳島行きのバスに乗った。このときは舞子駅での初めての乗り換えがうまくできるだろうかと物凄く不安だったが、ホームページに写真入りの丁寧な案内があり、そのおかげでクリアすることができた。
 またその数日後、福岡からの帰りの新幹線が、架線事故のため途中の相生駅で動かなくなったときは、突然イレギュラーなハードルが目の前に出現したようだった。
 本来なら眠っている間に新大阪駅に着いて夜の9時半には家に帰っている予定だった。それが数時間の足止めのあと、復旧には相当な時間がかかるという放送があった。在来線は通常通りに動いていると聞いたので乗り換えることにした。スマートフォンで調べると、姫路で新快速に乗り換えればなんとか最終電車に間に合うことがわかったのである。
 決断が早かったので払い戻し手続きを済ませてホームに降り立ったとき、まだ人はまばらにしかいなかった。夜の10時をまわっていた。風の吹き抜ける見知らぬホームで、乗り換えの段取りを確認しながら足元が震えているのがわかった。
 
 しかしそれでも12時半には家に帰れたので、線路上での停車に比べると幸運だった。翌日は京都の文章講座があった。そのあと娘の家を訪ねる予定もあった。
 それらをなんとか全部飛び超えて、明日の夜は友人に会いに出かける。半年に一度くらい、近況を報告し合う古い友人で、これがとりあえずのゴールという感じである。
 この約束をしたときは、ここまで無事にたどり着けるのかな、と思ったものだけれど、今はホッとしているところである。
 彼女は誕生日が近いので、早めに出てちょっとしたプレゼントを選ぼうと考えている。
 これは心がうきうきする楽しいハードルである。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0