自分の顔
年が明けて、娘一家が福岡へ帰っていった。
臨月にやってきて、出産予定日を過ぎ、やきもきしているうちに陣痛がおこり、その後、出産、入退院、お宮参り、クリスマス、お正月と、思えば怒涛の3ヶ月だった。
1年の4分の1を私はひたすら娘の母親役と孫達の祖母役に徹して過ごしたのだった。自分のことは常に「ばあば」と言っていた。最初は、ん?と思ったけれどすぐに慣れてしまった。ずーっとご飯のメニューのことを考えていた。仕事のある日はほぼ毎日、帰りにスーパーや薬局に寄っていた。仕事のない日は孫を連れて公園に行った。
帰宅するとその足で台所に立った。家ではご飯作りと洗濯と洗い物ばかりしていた。
生活に追われてあまり化粧もしなかった。すっぴんにマスクで買い物に行っていた。
化粧をしないと、自分の顔をじっと見ることがない。それで自分の顔がどんな顔だったのか忘れてしまう。というか、どうでもよくなってくるのだった。
着る物にも無頓着になる。自分をよく見せよう、という気持ちが無くなってしまう。
ああ、私の母もこんなふうだったな、と思い出す。
家業と暮らしに追われて自分のことには無頓着だった。若い頃は“やつし”(おしゃれ)だったようなのに、めったに化粧をすることがなくなっていた。自分の顔のことを気にすることもなかったように思う。
それが人の生き方の正解なのでは、という気がする。
すべてさらけ出している、という点が無敵であると思う。
けれど私は自分の顔を忘れたままではいたくない。
明日から娘には自力で家事と子育てにがんばってもらいたい。
私は3ヶ月の間、ベストを尽くしたと思っている。
自分の時間をとりもどした私はとにかく自分の顔を思い出し、いくつかの企みを実現するために静かに始動しようと考えている。