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いい公園 わるい公園

 娘が予定日より7日遅れで2度目の出産をした。
 そのいきさつは語れば長い話になるのだけれど、人の出産話は関係の無い人にとっては全然おもしろくないと思うのでここでは書かないでおこうと思う。
 娘はとにかく無事に女の子を産み、5日後に退院してきた。
 コロナのため、家族は産院に立ち入ることができなかった。それで退院後に初めて私はその赤ん坊を抱いたのだった。
 3000グラムに満たないその子はとっても小さくて、これ以上可愛らしい存在ってこの世界にあるだろうか、と感じさせるような光を放っていた。そして、何かちょっとしたことがあれば息絶えてしまいそうな危うさがあった。
 今、現在、立派な大人として生きている人達だって、みんなこういう赤ちゃんだったんだな、と思うと奇跡のように感じられた。みんなお母さんかそれに代わる人の手によって大切に育てあげられたのだ。
 
 ママ(私の娘)と赤ん坊は一カ月検診が済むまで外には出られない。それで里帰り出産を受け入れた実家の母親(私)が食事の世話から掃除洗濯買い物、すべてを引き受けている。
 なかでも大変なのが、3歳になる上の子のお世話である。家に引きこもっているとパワーが発散できないし、赤ちゃんにママをとられた感も強くなる。
 それで毎日、私はこの子を連れてとにかく公園へ行く。
 公園に行くと子どもは大喜びで走り回り、すべり台をえんえんと繰り返しすべるのだった。
 探してみると、町ごとに公園がある。
 自分の子どものときは、家から一番近い公園へ歩いて行っていた。
 毎日同じ時間に行くと、同じように子どもをつれてやってくるお母さん達とお友達になり、育児についての情報交換をしたり、お互いの家に遊びに行ったり来たりしたものだった。
 
 今はそんなママ友もいないので、自転車でいろんな公園へ行く。初めて行く公園は子どもにも私にとっても目新しくてわくわくする。
 公園というのは広さや置いてある遊具などが本当にさまざまで、記憶や噂を頼りに探して行ってみると、
「ああ、ここはいい公園だなぁ」
と感じ入ることがある。
 又はその反対もある。
 
 人によって感じ方は違うだろうけれど、広々としていてきれいなこと、蔭になる部分がなく隅々まで見渡せて周囲に開かれていることが、私はいい公園の条件だと思う。
 公園というのは市の公園事務所が管理しているようだけれど、木がたくさんあるので秋は落ち葉が毎日たまる。子どもらの残したゴミもある。それらを掃除してくれるのは地域の人々である。
 早朝、公園の横を通ると掃除をしたり雑草を抜いたりしてくれている年配の人達を見かける。公園の美しさはそういう人達の”気持ち”で保たれているのだった。
 荒れた公園というのは気持ちがすさみ、次に行く気になれない。
 周囲の目が行き届き、スッキリと晴れ晴れとしていること、それはその町の人々の愛情の賜物なのだ、と公園に行くたびに思うのだった。
 
 今日も明日も、私は3歳の孫と公園に行く。
 そこに流れる時間は特に記憶に残るようなものではないだろうけれど、追いかけっこをしたり、鉄棒やすべり台でひたすら一緒に遊ぶのだった。

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