買い物ノート
牛乳の賞味期限が切れたとき、卵が残り一個になったとき、または洗濯機用の洗剤がきれかけているのに気づいたとき、その他いろんな生活必需品がなくなったとき、次に買い物に行ったときに買わなくては、と考える(誰だってそうだと思うけど)。
頭の中にメモをして、たいていそれで問題なく補充ができていたけれど、ときどき買い忘れることがある。
それで買い物が多いときは紙に書き出すようにしていた。
これはチラシの裏や、そのとき目に付いたいらない紙を使っていた。
ところが、その紙を持って出るのを忘れることがあるのだった。
これは同年代以上の友人達の間ではよくあることで、
「買い物メモを書いたのに、そのメモを忘れちゃうのよねー」
というテッパンの失敗話になっている。
先日も何人かでそんなことを話していたら、ひとりの人が、
「だから、私はメモではなくて、買い物ノートを作ってるの。これはよく目につくし、いつもカバンに入れてるから忘れることもないのよ」
と言ったのだった。
わたしは、
「なるほど!」
と手を打った。
ほんとにそのとおりだな、と思った。
わたしは時折、そんなふうに人の考えにひどく納得することがある。
この時も、自分のなかに何かがストンとはまるように感じたのだった。
それで早速、実践することにした。
もともと”ノート”というものが好きなのである。
わたしはその数日前に、百円ショップですごくきれいなノートをみつけたばかりだった。B5サイズの薄いノートで、シンプルなものだけれど、表紙にセンスのいい(わたし好みということ)柄の紙を使っている。
ひと目で気に入ったが、使う目的がないので結局買わなかった。
それを思い出して、あれを買い物ノートにしたらいいんじゃないか、と考えた。
しかし、そのためだけに百円ショップに行くのもめんどくさい。でも買い物ノートはすぐに作りたいし、と考えを巡らせているとき、
「そうだ。家になんかいいノートがあるのでは」
と思いついた。
昔からノート類が好きなので、意味も無く買って、使っていないものがあるはずだった。
数日前の百円ショップで思いとどまったのはどちらかというと稀なことだったのだ。
わたしは家の中の、そういうノートがありそうな引き出しをあけてみた。
すると、あけた瞬間に目に飛び込んできたものがあった。
それは、茶色っぽい表紙に、竹久夢二の野いちごの絵が描いてある、新書版サイズのノートだった。
何年も前に岡山の夢二美術館で買ったものだ。
買った時のことを思い出した。とても気に入って、何か、生活の中で思いついたことを書こう、と思った。そして長い間使わないままなおしていたのだった。
それが求めていたのにピッタリだと、一目でわかった。
一瞬で、探していたものが見つかるなんて、すごいことだな、と驚いた。
その日以来、わたしはこのノートに買い物リストを書いて、必ずカバンに入れている。
罫線のないページに、日付けを書き、買う物を書く。書かない日もある。
新しいカーテンを縫うために計った窓のサイズなども書いておく。
やらなければいけない仕事や、何かの支払い金額、締めきりなどもつけている。
近頃、このノートがとても気に入っている。
なんでも書きたくなる。
まるで”生活ノート”か、簡単な日記帳のようだ。
でも、そのときどきの感情など、湿っぽいことは書きたくないと思っている。
淡々としていて乾いた印象のノートであって欲しいと願っているのだった。