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初めての胃カメラ

 ここ数年、私は、胃カメラというのを一度やってみたいな、と考えていた。
 大学時代の友人達と集まると、そんな話題が多くなった。正社員で働いていると自動的に健康診断を受ける機会があるようで、みんなで胃カメラの経験を言い合っている。
 鼻から入れた方が楽だとか、近頃は麻酔をするから知らないうちに終わる、とかいう話を聞いていると、はじめは絶対にやりたくない、という気持ちだったが次第に変わってきた。自分の身体の内部を見てみたい、という気持ちが勝ってきたのだった。
 
 以前は夫の勤務先の共済組合で扶養家族の人間ドックの費用が全額負担されていたので毎年のように受診していた。それが一部負担となってからは無料の特定健診と、実費の婦人科検診を個人的に受けていたのだったが、周囲で病気が見つかって手術をした人が続いていたので、久しぶりに人間ドックを申し込んだのだった。
 胃はバリウムを飲む検査が標準のコースに含まれていたが、それが好きではなかったこともあり、追加料金を払って胃カメラに変更の手続きをした。
 
 胃カメラは鼻からにしてもらおうと思っていたが、たまたま受けたばかりの知り合いが、鼻の形が合わずに鼻血が出たから、口からのほうがいいよと教えてくれた。ネットで調べてみると、確かに人によっては鼻から入らないことがあるし、口から入れるカメラの方がより精密だと書いてあった。
 当日の朝、準備を全部済ませて電車に乗り、後はされるがまま、指示されるままに動けばいいだけだと思うとホッとした。今までの経験から人間ドックのスタッフの人達はてきぱきとしていて丁寧で優しいという印象があった。
 その日のスタッフの人達もまさにその通りで快適でスムーズな進行だった。
 胃カメラの検査は案外早めの順番で呼ばれた。緊張はしていたが、不安はあまりなかった。
 みんなしているし、検査技師も手慣れているだろうし、と考えていた。
 
 しかし実際に始まってみると、私にとってはかなり苦しいものだった。口の中に軽い麻酔をして横になったが、するするとカメラを入れられた瞬間、えずいてしまって思わず引っ張り出しそうになった。あわてて看護師さんが私の手を押さえた。
「今、一番苦しいところを通っています」
と言われ、ああ、すぐに落ち着くだろうと思いながら、私はえずき続け、飲んではいけないと言われた唾を口から垂れ流し、目からは涙が流れ出ていた。
 若い看護師さんが、肩をさすりながら、
「力を抜いて楽にしてください」
と声をかけてくれた。これがとてもうれしかった。
 気がつくと目の前の画面に、私が見たかった自分の胃の内部が映っていた。それはピンクがかった肌色をしていた。濡れているような艶があり、生命活動というような動きをしていた。こんなものが見られるなんて、凄いことだな、という感動がやはりあった。
 ここで異常があればすぐに別の検査をすることに同意するサインをしていたが、何も言われなかった。
「はい、もう終わりですよ」
と女性技師の声がして、カメラを抜くときも辛かったが、なんとか私のはじめての胃カメラは終わった。
 
 終わってしまうと、私はあっさりと普通にもどった。
 すべての検査を終えて会計を済ませると、受付で食事券をくれたので階下のレストランで和食の定食を食べた。
 ちらし寿司やおそばがついた豪華なものだった。前日の夕方から何も食べていないし水も飲んでいない。
 それに私はこの人間ドックに合わせて体重を減らすためにダイエットをしていた。そのため胃が小さくなっている感覚があり、量が多かったので食べきれないかな、と思ったけれど、全部たいらげてしまった。
 
 結果は2週間後。
 異常がなければいいのだけれど。

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ハレとケ

 かつて私達の暮らしにはハレとケの時期があって、このふたつははっきりと区別されていた。「ハレ」とは、お正月やお盆、節句や冠婚葬祭などの非日常な行事が行われる時間や場所を指し、ハレ以外の日常生活が「ケ」だった。
 
 非日常であるハレの日は、単調な生活に変化とケジメをつける日だった。確かに幼い頃、お正月前には「晴れ着」と言って新しい洋服を買ってもらった記憶があるし、ご馳走を食べて、いつもと違う感をあじわっていた。
 一方、ケとは普段の生活そのものを指し、朝起きて働いて夜になったら眠るという日常の状態で、普段着で過ごす時間だった。それが今では混ざってしまって、ハレの日が日常化している。
 私にはオンの日とオフの日という感覚がしっくりくる。それは、化粧をするかしないかで区別されるものである。
 
 メイクをした顔とすっぴんが私のハレとケなのである。ハレの日とは誰か人に会う日のことで、ケの日には基本的に家族以外の人とは顔を合わさない。
 若い頃は化粧をしないほうが自然な気がしていたので、いつもすっぴんだった。出かけるときは口紅だけを塗っていた。当時は化粧をした自分の顔が恥ずかしくてたまらず、人に見せるものではないと思っていた。
 それが歳を重ねると、化粧をしない顔が恥ずかしくなってくる。それで近くのスーパーへ行くだけでもサッと薄化粧をするようになった。
 でもこれがとてもめんどくさいのである。それで、買い物や用事は極力何かのついでに、化粧をしている日に済ませるようにしている。だからよけいにオフの日は外に出ることがないのだった。
 
 古代から昭和初期くらいまで、普通の50代の女性は日常的に化粧をしなかっただろう。ハレの日にはしたかもしれないが、普段は前髪だって下ろさず、結い上げるか後ろにまとめていたと思う。
 みんな潔く自分の顔をさらけ出していた。それで自然だったのだ。
 
 私はときどき素顔で鏡の前に立ち、前髪を上げてみることがある。
 そこに映っているのが自分のほんとうの顔なんだな、と思う。
 顔色は悪く、目の周りは暗く落ち込んでいる。髪だってもし染めなければ全体が白いはずである。化粧をした顔とは全然違う。かなり老け込んでいる。
 
 私は別に化粧がまやかしだとは思わない。
 かつては不特定多数の見知らぬ人に顔を見られることはなかっただろう。
 今はそういう時代である。
 自分の大切なほんとうの顔を守る手段だと考えて納得しているが、でもいつかこう考える時期を通り過ぎたら、私は毛染めと化粧をやめようと決めている。そうしてその時に味わえる解放感をはどんなものだろう、と今から期待している。

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